照りつける陽射しが肌を焦がす。日焼け止めをきちんと塗って来るべきだったと後悔しながら、しゃがんだまま俯いてアスファルトの地面を眺めた。奥村先生が定めた集合時間よりもかなり早めに着いてしまったようだった。今日は生憎日傘も持ち合わせていない。運の尽きを感じて項垂れる。地面には、辺りのものの影が色濃く映し出されていた。足元では、誰かが零したのであろう、未だに甘ったるい香りが漂うジュースに、ごく少数で列を形成した蟻が群がっている。魔が差してそのうちの一匹をローファーの爪先で突くと、たちまち苦しそうにもがき始めたので、視線を逸らしてしまった。案外弱々しい生き物なんだな、と頭の片隅で思う。こんなことをしても、茹だるような暑さは和らぎはしない。少し歩いたところにあるコンビニにでも入って涼もうかと悩んでいると、ふと地面に影が差す。
「なまえちゃんやん」
 そこに立っているのは志摩くんだった。塾の男の子たちの中で、わたしを下の名前で呼ぶのは志摩くんしかいない。いつもにこにこしていて、誰にでも優しいかと思えば変に冷めている。本心が見えない、ちょっと変わった男の子だ。学園の女の子は皆志摩くんのことを優しいというけれど、わたしはそうは思わない。誰にも興味がないのと同等だし、彼の優しさは、他人への期待の薄さの現れのようにも見えた。いろんなものを諦めているんだろうな、と感じさせる、ちょっと軽薄な眼をするところが苦手だった。味気のないアスファルトから、青く澄んだ空と真っ白い入道雲を背に立つ志摩くんを見上げると、なんだか目が慣れなくて不思議な心地がした。突然現れた異星人みたい。
「大丈夫?」
「? うん」
「しんどそうに下向いてるから、熱中症かと思ったわぁ」
「あ、暑かっただけだから、大丈夫」
 当たり障りのない返事をしながらも、うまく笑えているかが心配だった。二人きりになるのは初めてのことだし、わたしが彼のことをどう思っているかを悟られたくなくて、普段は会話を控えていたのだ。志摩くんは依然としていつもと変わらない調子のままで、その様子がさらにわたしを緊張させた。
 気まずさから、何気なく目線を地面に落とすと、先程の蟻がふと視界に入る。一匹だけこの場に取り残されたその様子は哀れに見え、申し訳なさすら感じる。わたしが一点を見つめていることに気が付いた志摩くんが、視線の先の蟻を見つけて問いかける。
「これなまえちゃんがやったん?」
「うん、少しつついちゃった」
「無駄な殺生は坊に怒られるで」
 未だもがいている蟻を一瞥して、わたしをからかうように言う志摩くんは、なんだか楽しげだ。口調は涼やかな風のように軽快で、あっさりとしていたけれど、責められているみたいで落ち着かない。まだ死んでない、と無意味な言い訳をしようとしたその瞬間。志摩くんの足が蟻を踏み潰した。驚きか恐怖か、その両方からか、一瞬で暑さを忘れてしまう。実際にはそうでないのに、潰れる音が聞こえた気がした。そこにあった命が消える音。無残に潰れてしまった蟻は、地面に小さな染みを作っていた。夏だというのに寒々しい空気の中、志摩くんはわたしと同じ目線になるようしゃがみ、にっこりと笑う。瞬きをして、嘘みたいに冷たい瞳と目が合ったとき。この場から逃げ出したいと、わたしは確かにそう思った。少し癖のある、柔らかそうなピンク色の髪の根元が少し黒いことに初めて気が付いて、どこか遠い存在だと感じていた彼も、わたしと同じ人間なのだと思い知る。
「これで共犯、な」
「さっき、怒られるって……」
「うん。だから、秘密やで」
 底知れない瞳の奥。温度の見えない声。彼が優しいのか冷たいのか、わたしにはやっぱりわからない。ただひとつだけわかったのは、きっとわたしの考えなんて、志摩くんにはお見通しなのだということだけ。耳障りな蝉の声が響き、ぎらぎらとした陽射しが照りつける、真夏の昼下がりのことだった。

非道く優しい 200704





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