鈍い/霊幻新隆
「何だこれ呪文か?」
霊幻は机上いっぱいに散らばったルーズリーフを手に取り怪訝そうに眉根を寄せた。時折漢字混じりではあるものの、延々と並ぶカタカナの羅列。どこかの魔法使いあたりが唱え始めそうだ。机に突っ伏した悠の頭上に影を作ると先程と同じ疑問を口にした。
「お前、呪文の勉強なんてしてんのか?」
『違う違う。それは犬種だよ』
「犬種?」
弱々しくもハッキリと返ってきた言葉に、もう一度目を通すと眩暈を起こしそうだった。よくよく見ればかろうじて自分の知る名前もあるが、本当に呪文のようなものやまるでプロレス団体を連想させるものまである。日中やけに静かだと思えばこれと睨み合いをしていたとは。限界を感じて目を離すと、メガホンのように丸めたルーズリーフで悠の頭をぽすんと軽くこづいた。
「...まあ、頑張れよ。お前なら出来る。俺の弟子だからな」
巻き込まれる前に逃げよう、という心情を隠した霊幻からの声援に突っ伏していた悠の肩が僅かに揺れた。
『待った!!』
無造作に散らばっていたルーズリーフもふわりふわりと宙を舞っている。突然、発せられた言葉からは先程までとは違い微塵も弱々しさを感じない。驚いている霊幻に遠慮なく近づくと更にびっくりしたのか数歩後ずさりされた。
『今日、霊幻師匠の家に泊めて!』
予想外に力強い悠の声からワンテンポ遅れ、霊幻の情けない声が事務所内にこだました。
「は?何言ってんのお前」
『だから、泊めて欲しいって』
「...はぁ?!いやいやいや、ダメに決まってんだろ!」
『なんで?!師匠のケチ!!』
ケチではないと言い張る霊幻とケチだと言い張る悠の言い争いには一見終わりが見えないように思えた。どちらも身を引くつもりは無いとばかりにより距離は縮まっている。
「大体なぁ、なんでうちに泊まりたいんだよ。友達の家にでも行けばいいじゃねえか」
『やだよ遠いもん。師匠の家からの方が学校近いし。近くから行ける分、勉強したいの』
どうせ食事を作ってくれる人間が欲しいとか家に帰るのが面倒とかそのへんの理由だろうと考えていた霊幻は案外真面目な答えに怯むこととなった。
『ほら、師匠のとこなら一気に暗記できそうだし!だからそこをなんとか...お願いします』
身長差から必然的に上目遣いで頼みごとをする悠に一瞬気持ちが揺らぐ。いつもは騒がしいくせにこういう時に限って女子らしさで訴えてくるところが何とも卑怯だ。目の前にいるのがいくら20歳を超えた成人女性といえど、大学生を泊めるのにはいささか気が引ける。暫し考えるふりをしていた霊幻であったが、思いついたようにポンッと手のひらを叩いて見せた。
「いくら言ってもダメだ」
『ケチ!ハゲ!売れない詐欺師』
「うるせえ!間違ってもハゲてねえよ!」
『なんでよ!』
「いや、だってお前うち来たら一気に覚えちまうんだろ?だったら絶対来んな」
『はあ?!』
意味不明な霊幻の発言に、再び言い争いの火蓋が切られたかのように思われた。
「おいおい、鈍いのも程々にしてくれよ...一気に覚えないで毎日ここに通えっつってんの!二度も言わせんじゃねえ!」
『えっ』
遠回しではあるが毎日会いに来いと言われているということに、霊幻の赤くなった耳元を見てやっと気付いたのだった。