誘う男と誘われる女


まさか、私がナンパされる日が来ようとは。

「素敵だねぇ。コーヒー飲みに行かない?」

駅でベンチに座って人を待っていたら、隣に座った男性(高齢)からそんなお誘いを受けた。

ナンパって、こんな老い先短そうなおじいちゃんでも仕掛けるもんなのか。
もっと若くてチャラくて、悪趣味な腕時計やネックレスでジャラジャラギラギラと、全身を不自然に飾った男がするもんだと思ってた。

「今日はお買い物ですか?」
「いや、違うよ? コーヒー飲みに行かない?」

世間話は早々に打ち切られ、コーヒーへのお誘いループにぶち込まれた。
頑張って出来るだけ穏やかな表情と声音で話を逸らしてやったというのに、このジジイ。

けどなぁ。
こういうナンパするような人って、大体が体目当てだと聞いてるんだよなぁ。
私はそんなに魅力的なのだろうか。もう少しこう……ああ、丁度今視界を横切った女性なんか、顔は可愛いし化粧も似合ってるし、服のセンスも良くて全体的に小柄なのもあって可愛らしい。
ああいう女の子と飲んだ方が美味しいだろう。コーヒーも酒も。

それなのにわざわざ私をピンポイントで誘ったということは、アレか。
断らないだろう、リスクが小さいだろうという、舐めプ。
要は"チョロそうな女"と甘く見られているわけか。成る程成る程。
それならこちらとしてもそれなりの対応をしてあげなければ、ね。

「ね、コーヒー飲みながらお喋りするだけだから」
「私は特にあなたとお喋りしたいとは思っていませんので、このお話は不成立です。よそをあたられて下さい」
「お嬢さんのことを素敵だなぁと思ったんだよ。だから、お嬢さんとコーヒーを飲みたいんだ」

しぶといな、このじーさん。
うーん、殴りたい。でも相手は一般人だからそれはやっちゃ駄目だよなぁ。

「お気持ちだけ頂いておきます〜」
「コーヒーを一緒に飲みたいだけなんだよ」
「お一人でどうぞ〜」

あー、笑顔はちゃんと出来てるかな。
いつもの無表情に戻ってないかな。
この愛想のなさから接待を要求されることもなく、縁にも恵まれず、これまで築いたコネだとか浮いた話だとかとは全くの無縁だ。
上層部の誰かじーさんから、「可愛げのない娘だ」と小言を言われたことがあるくらい、私には愛想がない。

とりあえずこのコーヒージジイはどうしようか……と思いながら視線を巡らせると、待ち合わせの相手が目に留まる。
その辺の人間より頭ひとつ〜ふたつくらい高身長なその人は、今来たばかりみたいだった。…相変わらず、時間通りには来ない。
幸い、今日日時間を潰す方法は色々あるため、待つことは苦ではないけれど。

席を立ち、背後から聞こえる制止の声を無視して近寄れば、ヘラヘラ笑いながら「お疲れサマンサ〜!」といつもの挨拶をされた。

「五条さんを待ってる間にナンパされちゃいました。人生初のナンパです」
「マジ?」
「マジです。初ナンパがおじいさんとか、なんかがっかりだなぁ〜。若い男なら若い男で、振り切るのが面倒そうですけど」
「あー……ゆきはボーッとしてるとこあるからねぇ」

そうなんだよなぁ。歌姫さんや硝子さんからも、「もっと気を張れ」と何度も注意されてるんだよ。
そりゃ呪霊や呪詛師が目の前にいたら、それなりに気をつけるよ。でも仕事でもプライベートでも四六時中365日気を張るなんて無理だよ。疲れちゃうよ。

「現場では治癒に結界にとフルで働けてるんだから、いいじゃないですか」
「確かにゆきは守護や防御に特化した術式持ってるから、現場ではそれでいいんだけどね。けど日常においては野郎共から狙われやすいってこと、忘れちゃ駄目」

「野郎共から狙われやすい」……?

「狙われたのは今日が初めてなんですけど……あー、私の術式目当てとかですか」
「それもあるけどさぁ……キミって出るとこ出ててスタイルいいし、無表情でも顔が割と可愛いから、ゆきが気づいてないだけで、結構モテてるよ。お陰でこっそり縁談揉み消すのに苦労してるんだなぁー、僕」

は。
なんか今、流れでとんでもねー爆弾発言がぶっ込まれた気がする。脳内にダンク決められた気がする。
この人今、なんて言った?
ほとんどセクハラだけど体型褒められた気もするし、実はモテてるだの、縁談揉み消すのに苦労して……縁談…………縁談?

「縁談を揉み消す、とは」
「ん? そのまんまの意味。僕以外の野郎に渡したくないからさぁー、あれこれ根回ししてんの。今日のデートだって前もって仕事の調整を(伊地知を脅して)頑張った結果、こうして2ヶ月ぶりにゆきと同じ日に休みもぎ取れたわけ。褒めて欲しい」

は。
「僕以外の野郎に渡したくない」? どういうこと? どういう意味?
なんで私、五条さんにハグされてるの?
今日の約束は、いつものスイーツ店ツアーのはず。そう。いつも通りの、なんてことないお出かけのはず。
え?

いつもの、と言っても五条さんは五条家の能力フルパワーで受け継いだ期待の嫡男で、特級呪術師。任務も日帰りで済む場合もあれば、数日間の出張だったり数週間の海外出張だったりする。引くて数多でクソがつくほど忙しい。

いくら友人関係とはいえいつも一緒にいられるわけじゃない。だから、たまに休みが合えばこうして一緒にスイーツ食べに行ったり、どちらかの家で徹夜でスマブラや桃鉄、スプラで対戦したりする。

これだけ親密ではあるものの、それは私たちが友人関係にあるからだ。
男女の違いはあれど、お互いの家に泊まったことはあれど、一度もやらしい雰囲気になったことはないし、清々しいくらいの男子高校生みたいな交友関係を築いている。

一緒に出かけることを軽いノリで「デート」と言うことは何回かあったけど、今回みたいにハグされたことは一度もないし、変だ。

「今日の五条さん、変……」

思わず呟くと、抱き締める力がぎゅーっと強まった。
ちょっと苦しい。

「変にもなるよ。だって待ち合わせ場所に来たら、大好きなゆきが知らないジジイに口説かれてんだもん」
「だ、大好き?」
「言っとくけど、変になったからゆきを大好きになったんじゃないからね。割と前から意識してるし、徹夜でのゲームを口実にお泊まりしたしさせたけど、内心抱きたくて抱きたくてしょうがなかった。責任取って」
「あの、一応ここ駅なんで。人の往来が盛んなんで。熱烈なハグかましながらの『抱きたい』発言は自重して下さい」

私がそう言うと、ようやく力が緩まったもののうんともすんとも言わないから、顔を上げた。
そしたらそこには悪戯っ子のような、けれど子供にはない艶〈あで〉を含んだ笑みを浮かべる五条さん。
ヒュッと息を呑んで動けないでいる私の耳に、羨ましいくらいツヤツヤの唇が、まるで内緒話をするかのように寄せられる。

「今すぐ抱きたい」

日常ボーッとしてる私は、こんな時どう行動したらいいのかわからない。
逃げたところでこの人は、どこまでも追って来るだろう。それに、彼を拒絶する気持ちは私にはない。ということは、つまり、そういうことなのだ。

今日を以って、この友人関係は、終わりを迎える。
これだけははっきり理解した。


まどろむ