攻防


「こっち向いてや」

 言葉に従って侑の方を向けば、スマホを構えた侑がそのカメラを私に向けていた。

「え、なに」
「写真撮ってええ?」

 許可を得ようとしているところをみるに一応配慮はあるらしい。けれどソファの端に座り直して顔を背ける。さっき化粧落としたばかりで頷けるわけない。化粧してても簡単には頷けないけど。

「……やだ」
「なんでや」
「すっぴんだし、普通に恥ずかしい」
「かわええからええやん」

 可愛いと思ってもらえてるのはすごく嬉しいけれど、それは侑の欲目だ。テレビから芸人の笑い声がどっと溢れて、面白いシーンを見逃したということがわかる。

「だめです」
「ケチ」
「ケチで結構」
「ほんまにダメ?」
「だーめ」
「……せやったら明日自撮り送ってや」

 クッションで顔を隠しながら侑をちらりと見る。スマホを持っていた腕は下げられそれはもう私を捉えることはないようだった。不満そうな顔と声色に私は眉尻を下げて答える。

「なんで急に?」
「明日から俺、合宿やん」
「そうだね」
「しばらく会えへんやん」
「うん」
「せめて寝る前に写真眺めたいやん……!」

 そんな高校生みたいなことを侑が言い出すなんて思いもしなくて、私は笑ってしまった。侑が私の写真を眺めて眠る。気恥ずかしい感じもするし、なんか可愛いかもと思うし、でもやっぱり子供みたいだとも思う。
 ポケットにいれたものが落ちてしまったときのように、私の頭上にも優しい感情が落ちてきた。

「笑い事ちゃうねんぞ」
「笑い事だよ」
「なんでや。次会えるの1ヶ月先とか耐えられへんに決まっとるやん」
「意外とあっという間かもよ」

 端に座ったままの私に侑が詰め寄る。半ば無理やり横から抱きしめて、私の肩に顔を埋めた。テレビの内容はもう入ってこない。過ぎさればあっという間だけど、渦中にいるときは長いと思う1ヶ月。
 お互い社会人だからこればかりはどうしようもないけれど、1ヶ月後、この部屋でまた侑と会う時きっと私の胸は愛しさであふれるのだろう。1ヶ月どんな日々を過ごすかはわからないのに、その瞬間のことだけは強く確信が持てた。

「彼女やったら『私も寂しいから毎日電話しようねっ』くらい言うんやないんですかぁ。ちゃうんですかぁ。会えへんくて嫌や思てんの俺だけなんですかぁ。俺はもっと甘えられたいし甘やかしたいんや。俺ばっかり甘えとるみたいやん!」

 たちの悪い酔っぱらいの絡みですか。思わず言ってしまいそうになるのを寸前で止めた。

「でも侑そういう女の子あんまり得意じゃないんじゃないの?」
「……おん」
「じゃあダメじゃん」
「いや、やけど名前に言われたら努力するし。電話かけるし」

 首筋にキスをされる。わざと音を立てのかどうかはわからないけれど、耳元でリップ音が響いて、同時に侑の髪の毛が頬をくすぐるから思わず身が縮こまった。

「だって侑、終わったら絶対に真っ先に私のところに来てくれるから。それがわかるから寂しくないなって」
「……そら行くけども」
「それで絶対に私のこと抱きしめて会いたかったってキスするでしょ」
「……するな」

 見上げる侑はそれでもやっぱりまだ少しだけ不服そうだった。

「私ね、侑にすごく愛されてる自信あるんだ。だから1ヶ月や2ヶ月じゃ心折れたりなんてしませんとも。それとも侑は1ヶ月会わないと寂しくて私のこと嫌になっちゃう?」

 自身に満ち溢れた顔で侑を見ると、なんとも言えない表情をした侑が今度は唇にキスを落とした。そうしてまた肩に顔を埋めて、独り言のように小さく呟く。

「あかん……なんでこんなに好きなんやろ」
「どういう意味!?」
「なんやもう名前やないとこの先、一生ダメな気がするわ。いや名前以外考えとらんのやけど」

 宿る。明かりが灯るように、どうしようもないくらいの感情が。私だってそう。侑じゃないとこの先、一生ダメな気がする。

「なあ」
「うん?」
「好きや」
「うん。私も」
「むっちゃ好き」

 1度、痛いくらいに強く私を抱きしめた侑は深呼吸をして私から離れた。「これ以上は戻れへんくなりそうやからな」言い聞かせるような言葉は私に言ったのか、侑自身に言ったのかわからなかった。
 ふいに、数ヶ月前インタビューに同席した際に佐久早選手が言った言葉を思い出す。

「侑」
「ん?」
「明日、自撮り送るよ。……何回か撮っていい感じのやつ選ぶからちょっと時間かかるかもしれないけど。なんだこれってなったらすぐ削除して」
「や……削除せえへんし。どんなんでも即保存やろ。やけど嫌ややないん」
「嫌っていうより恥ずかしいけど。ふたりでインカメで撮るならそのほうが全然いいし」

 いつ終わってもいいと思っていたい。それは多分とても難しい事だろう。でもわかるって思った。私もそんな風に生きたいなって。少なくとも、侑に対して後々悔やむ事は可能な限り少なければ良いと願う。

「……あと練習終わって余裕があったら電話してくれたら、嬉しい」

 離れた侑が再び私を抱きしめる。今度は先程よりも優しい力で。応えるようにその背中に腕を回せば少しだけ侑の身体が動いた。

「あかん……好きが爆発してまう」

 悩まし気な声に、私は満たされた気持ちで笑いを堪えるのが精一杯だった。

(21.02.26 / 70万打企画)