※SSS


「名前サン、そろそろ起きないと終電逃しちゃいますよ」
「……んー?」

 微睡みの中で鉄朗の声が届く。体が浮くような感覚に先ほどまで鉄朗の部屋でお酒を飲んでいたことを思い出した。
 別に、明日の講義は午後からだし終電逃しても良いんだけど。寸前のところでその言葉を飲み込む。

「終電。タクシーじゃ遠すぎて帰んの無理でしょ」
「まあ、それはそうなんだけど」

 寝起きの朧気な意識を持て余して、部屋の中を見渡す。テーブルの上には飲み干したお酒の缶と半分減ったつまみが放置されていて、私が寝ている間の状況を物語っていた。

「研磨は?」
「先に帰った」
「一緒に帰ろうと思ってたのに。薄情……」
「まあまあ。俺が駅まで送り届けてあげっから」

 柔らかい表情と共に差し出された鉄朗の手を取り立ち上がる。
 駅までは一緒にいられる。駅までしか一緒にいられない。

 ――明日午後からだから今日は泊っていこうかな

 一瞬本当に言ってしまおうかと思った。正面に立つ鉄郎を見上げて、今日もまた幼馴染って厄介だなと不毛なことを考える。言って泊って、私たちの関係が変わるのならとっくの昔に変わっている。
 鉄朗の促しに素直に応じて、私は部屋を後にした。
 夏の夜。凪ぐような動かない空気はじっとりとえりあしを撫でる。いつもよりゆっくり歩いていること、鉄朗は気づいているだろうか。

「あ、スマホ忘れた」
「まじ?」
「うん」

 駅まで残り三十メートル。申し訳程度に明かりが灯る駅の改札は、終電間際とあってあまり人がいるようには見えなかった。

「ないと困る。戻っていい?」
「いいけどこれじゃあ終電乗れねえな。どーする? 仕方ないし、泊まる?」

 見つめて、瞬きを繰り返して、私はいつもの笑顔で返事をした。

「助かるありがとう。あ、コンビニ寄ってから戻っていい? 化粧落とし買わないと」
「了解。ついでに明日の朝飲むコーヒーも買うわ」
「はーい」

 鉄朗は気づいているだろうか。
 私がゆっくり歩いて、そしてわざとスマホを忘れてきたことを。
 気づいてくれるだろうか。
 私の積日の片思いに。
 最終電車の動く音が聞こえる中、私達は来た道を引き返した。