※SSS
「名前って本当に俺のこと好きなの?」
抗える余地のない蒸し暑さ。濁ったような空気が昼下がりの六畳一間に満ちている。不快感に眉を顰め、くすんだ白のリモコンに手を伸ばした時、倫太郎は言った。
ひどく落ち着いた、穏やかな声だった。
「え?」
「名前は、自分にとって都合の良い俺を作り上げようとしてない?」
倫太郎の言葉にエアコンをつけるのも忘れて、ただじっとその瞳を見つめ返す。言葉の真意を探ろうとしても、この身体の内側までじっくりと熱を通すような暑さが思考の邪魔をする。
そう。そうだ。まずはエアコンをつけないと。
「名前は俺といると、自分が周りからたくさん評価されるからって理由で俺を選んでるんじゃないの?」
冷房21度。壁に取り付けられたエアコンからは馬鹿みたいに涼しい風が吹き出して、私はただ一身にそれを浴びた。暑さがゆっくりと姿を消して、それまで感じていたものが夏の幻と思えるくらい、濁りが一気になくなるのを感じる。
「SNSに俺との写真載せるのも、俺と何をしたか日記みたいに呟くのも、いいねが欲しいからじゃないの? 周りから凄いって思われたいからじゃないの?」
なんでそんなこと言うの。その言葉が言えず、私はやはり倫太郎を見つめ返すだけだった。脈拍が徐々に速くなっていっている気がして、私はただ怖かった。
「俺が誰からも評価されなくなっても名前はずっと俺のそばにいてくれるの? 違う誰かのところに行くんじゃないの?」
「そんなの……」
あるわけ、ない。そう言ったところで倫太郎の瞳を誤魔化せる気はしなかった。生唾を飲み込むと、嫌な音がする。涼しくて、暑くて、気持ち悪くて、最悪。
倫太郎の言葉全てを否定するだけの言葉を私は多分、持っていない。
「名前は承認欲求が強いよね。集団の中でも自分が一番じゃないと気が済まないところがある」
「……ひどいよ、倫太郎」
「なんで? 名前が勝手に俺のことを優しいって思ってるだけで、俺は酷い男だよ」
そう思っていたとしても、なにもそんな言い方しなくてもいいのに。それに、いいねをもらいたいと思うことのなにがダメなの? SNS上でくらい、良く見られたいって思って、なにが、ダメなの。
「名前は可哀そうだね。広くて狭い世界を全力で生きてる」
赤に染まってしまうような感情が込み上げて、一瞬、全てを壊してしまおうかと思った。
「……そんな私のそばにいる倫太郎のほうが、可哀そうじゃん」
「だって名前は俺がいないと、ただの凡人じゃん。俺は可哀そうな名前が好きなんだよ。可哀そうだからそばにいてあげたくなる。だからいいよ。本当の俺を知らなくても。名前の好きなように俺を作り上げてよ」
倫太郎は怖いくらいに艶のある笑みを見せた。
眩暈がする。冷気が部屋を満たして暑さなんてもう欠片もないはずなのに、のぼせて目が回ってしまうような感じ。
倫太郎。
その名前を声にすることすら叶わない。意識がどんどん遠のいて、見える世界が現実が夢なのかわからなくなってくる。目の前にいる人物が本当に倫太郎なのか、私にはもう判断がつかない。意識を手放す最後の瞬間まで、倫太郎は私を見て笑うだけだった。
「おやすみ、名前。また次の夢に行きな」
ああ、そうか。これもまた誰かの紡いだ夢だったのか。