※SSS


 駅構内の待ち合わせ場所に到着した時、私の格好を見て鉄朗は目を見開いた。その眼球に私だけを映さんとばかりの表情。つい笑ってしまいそうになる。ある意味、サプライズは成功したわけだ。

「え、なんで着物?」
「今日お茶会あったの」
「あ。先月から習い始めたって言ってたやつか」
「そうそう」

 床を蹴るたびに下駄の小気味良い音が喧騒の中を通り抜ける。スーツの男と着物の女。その珍しい組み合わせは過ぎ去る人のみならず、近くにいる大半の人々の視線を奪っていた。
 帰宅ラッシュを過ぎた駅の構内にはそれでもまだ多くの人がいる。モーゼの十戒とは言わずとも、ぶつかるまいと人が私を避けようとするのは着物の魔法のひとつなのかもしれない。

「よくお似合いで」
「お褒めの言葉ありがとうございます」

 長月、初日。暑さも和らぎ、ずいぶんと外も歩きやすくなった。夏はもう緩い足取りで私達の後ろにいるのだ。
 鉄朗と共に迎える秋はもう何度目になるだろう。灯るように温かい何かが胸に宿って、鉄朗の手と自分の手を絡めた。しなやかながらも筋張った手は、私の想いに応えようと力が込められる。

「せっかく綺麗な恰好してるし、今日はちょっと良い店にでも食べに行く?」
「行く!」

 ちょっと良いお店への当てがあるのか、鉄朗は悩むことなく道を歩いた。
 駅前の大きな交差点。いつもより小さな歩幅で歩く私にペースを合わせてくれる鉄朗が好きだと思う。

「一緒に美味しいもの食べようね」
「だな」

 そして思いやりや配慮を持って、私を大切に扱ってくれるところも。
 ふと、目線の先にある1枚の街頭ポスターが目に入る。鮮やかな赤。焦がれるように身を空へと向けている彼岸花。それがとある小説の宣伝ポスターだと気が付いたのは真横を通り過ぎてからだった。
 私の着物に咲く可憐な金木犀がその美しい彼岸花に並んだ瞬間、つい先日仕入れた知識を鉄朗にひけらかしたくなった。

「知ってた? 草花柄の着物って少し先の季節を先取りするのが基本なんだって」
「え、そーなの?」

 私の帯の中では囁きあうように金木犀の花びらたちが寄り添っている。そよぐ風に乗ってその香りが届く気さえした。
 金木犀は秋の花。橙の色を纏い気高く慎ましく咲く、秋の花。

「だから今日は金木犀の帯にしたんだ。可愛いでしょ?」
「まあ着てるモデルが可愛いからな〜」
「そんな褒めても何も出ないよ?」
「キスくらいはオッケー?」
「そんなの許可なくてもいつでもオッケーなのに」

 軽やかに、柔らかく笑い合う。
 さらり。優しく背中を押すように吹いた風は、確かに秋のそれだった。