※SSS
隣の家に住む7歳年上の名前ちゃんを俺はずっと好きだった。
それは所謂、初恋。今でも持続する俺の唯一の恋。
「名前ちゃん、帰ってくるんなら連絡くらいしろよ」
大学進学をきっかけに関西で一人暮らしを始めた名前ちゃんは、仕事に就いた今でも時々こうして帰省する。
「ごめんね。聖臣、部活で忙しいっておばさんが言ってたから帰省した時にびっくりしてもらおうと思って」
「……忙しくても返事くらいはするし」
学校から帰宅し、母親からその事実を告げられた俺はすぐに名前ちゃんの家を訪ねた。
気まぐれにふらりと帰省してまた関西へ。気の向くままに生きようとするところは、まるで猫のようだといつも思う。
なんの警戒心もなく俺を部屋に招くところも、小さい頃と変わらない優しい声色で俺の名前を呼ぶところも。
「お土産、おばさんに渡したんだけど食べた? あれすっごく美味しくて。まだ関東に出店してないみたいだから聖臣にも食べてほしいなって思ってさ」
「後で食う」
長かった髪の毛が短くなったり、短かった髪の毛が伸びたり、それまでつけていなかったピアスをつけるようになったり、爽やかな甘い香りが躍るように漂ったり。帰省する度、俺の知らない名前ちゃんが増えてゆくことを、その実、少しだけ焦っていた。
今だってそうだ。名前ちゃんの爪を彩る淡いオレンジの色を、俺は知らない。
「あ、そういえば元也くんは元気?」
「まあそれなりに」
「仲良くしてる?」
「……まあ、それなりに」
きっとこの人の中で俺はまだ小さな小さな男の子なんだろう。純粋無垢な子供だと、今でも思っているんだろう。
少し悩んで、しかし確実に時は進んでいることを示すようにベッドに腰かけた。軋んだ音が部屋に響いても名前ちゃんの様子が変わることはない。
「前に会ったの3年前くらいか。きっと身長も大きくなってるよね。元也くんにもよろしくって伝えておいて」
「あのさ」
「なに?」
名前ちゃんの顔がこちらを向く。
白くか細い首元に光る小さなダイヤのネックレスが目に入って、その瞬間、俺は何故か急にそれまでの均衡を崩そうと決意した。
「俺も成長してんだけど」
見開かれる目。大きく揺れた瞳に映る俺の姿。
「そっか。そうだよね。聖臣もう高校2年生だもんね。子供じゃないか」
それにあと1年経てば結婚だって出来る。そう。俺は名前ちゃんが思ってるほど子供ではない。
「だから俺のことは今後、男として意識して」
「え?」
立ち上がり近づく。目の前に立てば、俺よりもずっと低い身長の名前ちゃんが俺を見上げてきた。年の差は埋まらない。だけどこの身長差だって、もう埋まることはない。
ハッとした様子の顔。傷つけてしまわないように、必要以上に壊してしまわないように、そっと頬に手を添えた。
「俺、名前ちゃんのことずっと好きだから」
名前ちゃんは何も言わない。でも、それで良いと思った。
「それだけ言いに来た」
驚く顔を目に焼き付けて部屋を出る。名前ちゃんの思う「かわいい聖臣くん」はもういない。
初恋は実らないなんて言葉、知ったことじゃねぇ。