※SSS


「今日、仕事終わったらバッティングセンター行かない?」

 その連絡をもらった時点で、日常生活——おそらく仕事関係で嫌なことがあったんだなと分かった。キラキラと輝く絵文字が文末に添えられているが、スマホの向こうで口を尖らせた名前が脳裏に浮かぶ。

「オッケー。残業にならないよう頑張るわ」

 いったい今回はどれほど嫌なことがあったんだか。こりゃあ長い夜になるなと、しっかり愚痴を聞く覚悟して俺はそう返事をした。


「大体さぁ! スーパーバイザーは私なのになんで相談もなしに勝手に決めちゃうかなあ!?」

 ピッチングマシンから発射されたボール。名前の不格好なフォームで振り回されたバットにかろうじて当たったボールは頼りなく緑の床を転がる。

「だよな」
「いったん私を通してから話してもらわないと私だけ変更点知らされないままプロフェクト進むじゃん!? 違う人から聞いたと思ってたって……いやいや聞いてませんけど! しかもこれ3回目だから!」

 空振り。空振り。空振り。ヒット。空振り。ヒット。
 月曜夜のバッティングセンターは人も少なく、名前の怒りがよく響いてた。よっぽど面倒なことになっているのだと、その声色で分かる。
 決して綺麗とは言えないフォーム。怒りをバットに乗せて80キロのボールを打とうとする姿が、まあ、可愛い。
 そしてまた空振り、空振り、ヒット。

「黒尾、打たないの?」
「んー、聞き役に徹しようかなと」

 20球全てのボールを打ち終えたナマエがバッターボックスから出てきて訊ねた。幾分か不満を発散できたのだろうか、先ほどよりも心なしか顔つきが柔らかい。

「少しはすっきりしましたか?」
「少しはね。でも夜ご飯も付き合ってね」
「ここまで来たらどこまででも付き合ってやるから安心しなさい」
「さすが黒尾。優しい〜」

 名前が笑う。こんなことで笑ってくれんならいくらでも。そんなことは言えないから代わりに笑みを返す。
 別に名前の愚痴を聞くのは嫌じゃない。まあ時々酒癖が悪いと思う時はあるけど。むしろ嫌なことがあったとき、俺のことを思い浮かべてくれるのは単純に嬉しい。友達という枠組みの中でも特別な位置に置いてくれてるんじゃないかって少し期待もする。

「ね、ね。やっぱり黒尾も打ってよ。黒尾がホームラン出したらスカッとする気がする」
「俺が?」
「俺が!」
「簡単に無茶言う……」

 名前と同じ80キロは遅すぎるから、それよりも早い速度のボールを出すバッターボックスへ移動した。ヘルメットを被り、ネクタイをYシャツのポケットにねじ込む。
 月曜日の夜に呼び出されて二つ返事をする理由を、少しは考えてほしい。名前だからバッティングセンターにも夜ご飯にも付き合うんだと、いったいいつになったら気が付くのだろうか。まあ決定打を言えない俺も俺なんだけど。

「黒尾頑張って! ホームランね!」

 嬉々とした声。仕事の不満なんかすっかり忘れたような笑み。それがやっぱり可愛くて覚悟してしまう。振り回される運命ってやつを。それも仕方ないと思えてしまうから困ったもんだ。
 だけど、それならば。

「俺のかっこいいところしっかり見ててちょうだいよ」

 マシンから発射されるボール。バットを握る手に力を込めて足を踏み込んだ。この雄姿が名前の目に焼き付くようにと願ってバットを振る。
 ボールの行方はまだわからない。