※SSS


「あ、これ……」
「欲しいのあった?」

 可愛い。
 その言葉を寸前で飲み込んだ。店内をのんびり歩いていた私の足が止まったのは、本来買いたかったネックレスのショーケース前ではなくて指輪のショーケース前。同時にそれが結婚指輪だとわかった私はあからさまに顔をそらす。

「ううん。なんでもない」

 いつもよりもちょっとだけ背伸びをしたブランドの旗艦店。なんとなく足音を立てないように一歩踏み出したのは、心なしか客層も普段行く駅ビルのそれとは違う気がしたからだろうか。

「名前の誕生日なんだから好きなの強請ってくれていいのに」

 お店の雰囲気に委縮する私とは反対に元也はとても軽い調子で言った。付き合って2年半。いくら誕生日と言えどこの結婚指輪が可愛いなんて口にしたら、プロポーズの言葉を引き出そうとしていると思われても仕方ない。

「……好きなの強請る為に今こうしてたくさん吟味しているんです」
「ははは。確かにそうだな」

 誕生日プレゼントがなかなか決められない私を、元也は嫌な顔ひとつせず付き合ってくれる。伸びたTシャツをなかなか捨てられない私を、袋ラーメンを鍋からお皿へ移さず食べる私を、休みの日にすっぴん眼鏡で過ごす私を、丸ごと受け入れてくれる元也と家族になれたら幸せだと思う。
 けれど、私だけがそう思ってても家族にはなれないわけだし。

「元也はどれが私に似合いそうだなって思った?」
「うーん」

 元也は腰を屈めて、ショーケースに並べられたアクセサリーをじっと見つめた。他のお客さんがそうしているように、私もここぞとばかりに元也に近づいてショーケースを覗き込む。
 ライトに当たってキラキラと光るダイヤが私には少し眩しすぎるくらいだ。でも間違いなく美しい輝きに、好きな人から贈られたらきっと幸せを運んでくれるに違いないと思える。

「……名前がさ」
「うん」
「さっき一瞬足止めたの、結婚指輪じゃん」
「えっ」

 視線は変わらず、小声で元也が言う。気づかれていたのかと焦る私は言い訳のように言葉を並べるしかできない。

「い、良いなと思ったけど結婚指輪だったの気が付かなくて。全然そういうつもりはないって言うか……その、たまたま? だから、うん。欲しいのはネックレスだし」

 向けられた視線。私の様子を気にするように元也はゆっくりと紡ぐ。

「俺はあれ、結構良いと思ったけど」

 言葉も出ないままその意味を考える。先ほどまで見つめていたネックレスの輝きも値段も店内の雰囲気も忘れて、私はただ元也から視線をそらさないようにするのが精一杯だった。
 まるで付き合い立ての頃みたいな、気恥ずかしさやもどかしさが混ざる視線。今となってはある意味、刺激が強すぎる。

「名前さえ良ければ、近いうち一緒に買えたらいいなって思ってるから」

 元也の言葉に攫われた全ての物欲。その言葉でもう十分ですって言えたら良いのに、その瞳に飲み込まれたように私は何も言えず、ただ小さく頭を上下に動かすだけだった。