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 すれ違った学生服の男の子からエアーサロンパスの香りがした。夏の風に柔らかく乗ったその香りが鼻孔に届いた瞬間、私は数年前の夏を思い出した。夏の暑さと共に恋を覚えた、あの頃を。
 体育館に響くホイッスルの音。足元に転がるボール。汗を滲ませた研磨の真剣な横顔。あんな時間を過ごすことはもう無理だとわかっているからこそ、思い出すだけで心は優しく揺れるのだろう。
 生温い空気に乗って、どこからともなく蝉の声が聞こえる。立ち止まり、いつもの場所でいつものように研磨へメッセージを送った。

『駅前の商店街過ぎたけど、コンビニで買っていくものある?』
『特にない。名前が飲みたいって言ってた銘柄のビール、お中元でもらったからとっておいたよ』
『え! 嬉しい! 走って向かいます』
『そう言うと思ったけど走って転ばれたら困るから歩いてきて』

 絵文字は一つもない。感嘆符だって何もないのに、研磨がどんな表情をしているのかすぐに想像出来る。だってそういう時間を私達は重ねてきた。あの頃から続く、青くてみずみずしい時間を。

『そういえばさっき、高校生の男の子とすれ違ったんだけど』
『うん』
『エアーサロンパスの香りがして、音駒にいた頃思い出した』
『なにそれ』

 あの角を曲がって、信号を渡って、道なりに進めば研磨の家がある。港区のタワマンだって住めるだろう研磨が選んだ、都心から少し離れた一軒家。
 制服を着ることはもうない。研磨がボールをトスする姿も滅多に見られない。会話の一つ一つを意識することや髪型を何度も気にしちゃうことも今となってはないけれど。

『私にとっての恋の香りってこと』

 エアーサロンパスの香りを思い出しながら足早に研磨の家を目指す。でも、大人になるって悪くない。夏風が私の背中を押す。今日も私は恋をしている。