「名字さん!」

 木兎さんの声がフロアに響く。ああまたかって隣にいる同僚が小さく笑うのを尻目に、私は「はーい」と慣れた様子で返事をした。
 木兎光太郎さん。年上の同期。うちのバレーボールチームに所属している、毎日元気で、なんかもうとにかく凄い人。大きな体で堂々と歩く様子はそれだけで威厳があるけれど、凛とした姿勢こそが周りを魅了してやまないんだって私の心はいつもこの人に惹きつけられる。

「名字さん!」

 自分のデスクから真っ直ぐに私のデスクめがけてやってきた木兎さんは、こちらに視線を向けながら再度私の名を呼んだ。

「なんですか?」
「今日一緒にお昼ご飯食べない?」
「良いですよ」

 社内メールで言ってくれれば楽なのに。思うけど言わない。木兎さんがわざわざ私のところへやってきて声で伝えてくれるのが結構好きだったりするから。

「じゃー約束! 食べたいもんあったら教えて」
「はい。食べたいの、考えておきます」

 差し出された小指に自分のそれを絡める。小さい子がするような約束の交わし方。
 満足そうな様子で踵を返した木兎さんを見送ると、隣の席の同僚がそっと声をかけてきた。

「ほんま2人仲ええね。まさか付き合うてたりするん?」
「あはは、付き合ってないです。多分、木兎さんから見た私って妹みたいな感じなんだと思います。だから可愛がってもらえるって言うか」
「妹?」
「実は私と木兎さん、地元近いんですよ。入社した時それで盛り上がって。そういうのもあって親近感って言うか、家族っぽさ? を感じてもらえてるんじゃないですかね」

 そう、私達は傍から見てどれだけ仲が良さそうに見えても結局それまでの関係なのだ。
 一応同期にはなるけれど、木兎さんはバレーボールをするのがメインの仕事だし私とは住む世界が違う。私がどれだけ良いなと思ったところで関係がどうこうなることはない。それがわかるから私も無駄に期待はしないし今の関係で満足が出来る。

「そんなもんなんかねぇ」
「そんなものなんですよ」




 昼休み、会社の近くにある行きつけの定食屋さんの椅子に座って注文を終えた瞬間、木兎さんは改まるように言った。

「実は名字さんに報告があって」
「報告?」
「俺ね、プロ契約することになったんだよね」

 プロ契約。つまり木兎さんはバレーボールに専念する為、今みたいに時々出社して業務をする事はなくなるという事。木兎さんの今後のキャリアを考えると必要な選択だと思うしこれまでの実績を考えても納得いく選択だ。
 そっか。プロ契約か。喜ばしい反面、もうフロアで名前を呼ばれることも無いんだなと思うと寂しさが顔を出す。
 でも笑顔を作った。だってこれからもっともっと木兎さんが活躍して多くの人に応援されるんだって思うとそれはやっぱりとても嬉しいから。

「木兎さん、凄いです! おめでとうございます。正直一緒に仕事をすることがなくなるのはちょっと寂しいですけど、試合たくさん観に行くのでこれからも木兎さんの活躍楽しみにしてます!」

 言うと、木兎さんは不思議そうな表情を見せた。

「仕事とバレー以外じゃ俺と一緒にいてくんないの?」
「え?」
「俺、ここに通わなくなっても名字さんと会いたいんだけど。バレーの試合じゃなくて、普通にプライベートで名字さんとこうやってご飯食べたりしたい。それで、もっと親しくなりたい。だめ?」

 だめって聞くの、可愛すぎないですか。こんな大きな身体で小さく首傾げられたらだめじゃないって言うしかないじゃないですか。
 でも、心臓がはやると同時に疑問が沸く。木兎さんの言う親しくなりたいってどういう意味が含まれているんだろう。単に友達の延長みたいな感じなんだろうか。それとも。

「……私って木兎さんにとって妹みたいなものじゃないんですか?」
「妹?」

 それとも、もっと別の、素敵な何かだったりするのだろうか。

「木兎さんが私の事を気にかけてくれる理由って地元が近いし、年下だし、妹的な感覚なのかなって。でもそんな風に言われちゃうとそうじゃない可能性を考えちゃいそうになるって言うか……」
「いいよ」
「え?」
「そうじゃない可能性で考えてくれていいよ」

 優しい顔。でもどこか自信に満ち溢れていて、包容力と安心感を感じる。
 良いんだろうか。私なんかが望んでしまって。私なんかが好きになってしまって。でも、勇気の出し方はこの人が教えてくれた。

「あ、の……」
「うん」
「仕事とバレー以外の木兎さんも知りたいです。それに知ってほしいです。仕事以外の私の事も」

 握り拳に力を込めて、今伝えられる精一杯を言葉にする。木兎さんは満足そうに笑って、運ばれてきた定食のおかずを大きな口で美味しそうに食べるのだった。

(22.11.30)