田中が『キヨコサン』と結婚したと聞いた時、真っ先に思い浮かんだのは西谷の事だった。高校時代、田中と同じく『キヨコサン』に傾心していた男子。『キヨコサン』が有名だったのは容姿端麗な事もあったけれど、少なくとも私たちの学年では田中と西谷の影響が大きかったと思う。一日に一度はどちらかの叫び声でその名前を耳にしたし、もはやそれは名物とすら化していた。
 だから、あんなにも心を寄せていた相手が誰かと結ばれたと知った西谷は大丈夫なんだろうかと思ってしまったのだ。しかもそれは見知らぬ誰かじゃなくて、よく知った相手なのだから。

「あ」
「おお! 名字!」

 空港で偶然西谷と再会したのはそんなことを考えていたからなのだろうか。
 国際線出発ロビー。大きなバックパックを背負って、まさに大多数の人が想像するバックパッカーの姿をしていた西谷に、私の足が止まる。
 地元から離れた場所でこうやって会えるなんて思ってもいなかった。相手が女の子だったらもっと大きなリアクションをとれたかもしれないけれど、元クラスメイトとは言えさすがに私と西谷の関係性で抱きしめあうことは出来ない。
 驚きながらも冷静を保って声をかける。心なしか大人びた西谷の顔つきに私の背筋は自然と伸びた。

「偶然だね。空港で働き出して知り合いにあったのこれが初めて」
「働き出してって、グランドスタッフになったのか?」
「ううん。管制官。さっきまでカフェで勉強してて、今日は遅番だからこれから仕事が始まるところ」
「カンセーカン! すげーな!」
 
 興奮気味に西谷は言う。

「ありがと。でも西谷だって凄いでしょ。人づてに聞いてたけど色んなところ行ってるんだよね?」

 田中と『キヨコサン』の話を聞いた時、西谷が世界中を旅しているということも聞いていた。その時は西谷らしいといえば西谷らしいと納得したけれど、いざこうしてその姿を見ると西谷のもつ好奇心や強さは日本では収まらなかったのだという感心のほうが勝った。
 きっと今の西谷は私の知らない街や見たこともない景色をたくさん知っているのだろう。

「おう! 今日はこれからにマダガスカル行く予定だ」
「マダガスカル!? 長旅だと思うけど気を付けて行ってきてね」
「こっちこそいつもありがとな」
「え?」
「空港で働いてる人たちのおかげで俺は安全に目的地へ行けるだろ」

 西谷は笑う。高校の頃とちっとも変っていない笑顔で。何にも縛られない自由な笑顔で。
 だから顔を出した。『キヨコサン』を羨んだあの頃の私が。

「でも、ほら、それが仕事だし」

 何かを誤魔化すように笑う。
 あれは限りなく恋に近い感情だったと思う。あんな風に心を寄せてもらえるのはどんな感覚なのだろうと、心のどこかで自分がその対象になれたらどれほど幸せなんだろうと、淡い憧れに似た期待をあの頃の私は秘かに抱いていた。
 恋と断言するに足りなかったのは覚悟なのか勇気なのか今でもわからないけれど。

「それでもすげーよ。だから今日もよろしくな!」

 揺らぎのない、真っ直ぐとした声。真剣な眼差しが嘘偽りなく私の事を「凄い」と言っているのだと伝わる。
 瞬きと呼吸を、ゆっくりと繰り返す。
 もしかしたら西谷は今も『キヨコサン』の事が好きなんじゃないだろうかと思っていた。だから、田中と『キヨコサン』の結婚を実は悲しんでいたりしてるんじゃないだろうかって。
 でもそんなの私の杞憂だった。むしろ余計なお世話でおこがましい考えだ。
 西谷は強くて自由だから、きっと田中と潔子さんのとこを心から祝福してる。そういう人だから私は西谷の事をいいなと思っていたんだった。

「うん、任せて」

 力強く頷く。そしてこれから始まる西谷の旅が素敵なもので溢れますようにと願った。西谷が安全に飛び立つ為、自由に進むため為、私は私の仕事を全うしよう。それが西谷の旅の細やかな部分だったとしても。

「西谷」
「ん?」
「帰ってきたらマダガスカルの話、聞かせてよ。それだけじゃなくて西谷の見てきた世界、知りたい」
「ああ」

 湧き上がるこの気持ちは、だけど、あの時の延長じゃない。
 今、大人になった私と西谷で築ける関係性を構築したい。そしてそれが恋に繋がるのだったら私は全力で恋をしたいし、勇気も覚悟も総動員させて頑張ってみたい。もちろんそれはそうなればの話だけど。

「Good day!」

 サムズアップをする。
 西谷はまた、眩しいくらいの笑みを見せてくれた。

(23.02.01)