『今日、一緒に帰れますか』
飛雄くんからそんな風に誘われたのはこれが初めてかもしれない。携帯の画面に並ぶ文字に私は目を見張る。
『大丈夫だけど、部活は?』
『残らないようにするんで、待っててくれると助かります』
『いいよ。じゃあ、自習室で勉強してるから終わったら連絡して』
こうして約束を取り付けた放課後、私は部活が終わった飛雄くんと肩を並べて帰路を共にしていた。
中学の頃から知っている飛雄くんが彼氏になったのはちょうど一ヶ月前の事。ただでさえ学年が違う上に、毎日部活で忙しい飛雄くんとカップルらしいことは出来ないままだったから、こうして一緒に帰れるのは素直に嬉しかった。
「飛雄くんが一緒に帰ろうって誘ってくるの初めてだよね。部活、いいの? 残りたかったんじゃない?」
それでも、僅かばかり残る懸念を口にする。
「でも今日で一ヶ月なんで」
「え?」
「今日で付き合って一ヶ月ですよね、俺たち」
「え!? 覚えてたの!? 飛雄くんはそういうの興味ない人だと思ってた……」
一ヶ月記念日どころか一年記念日すらも忘れそうだと思っていた、と言ったらさすがに怒らせてしまうだろうか。
私もさほど重視してるわけじゃないし、元々特別な事をするつもりはなかったけれど、さすがに飛雄くんからそれを口にされるのは想定外だ。
もしかしたら誰かに何かを言われたのかもしれない、と想像を巡らせる私に飛雄くんは言う。
「付き合って一ヶ月記念日を祝わない彼氏は彼氏じゃない、ですよね?」
「それは、誰の言葉?」
「姉です。よく耳にしてたんで」
「おねえさま……」
そう言えば飛雄くんには年の離れたお姉さんがいるんだった。
なるほどそうか、お姉さんか、と納得すると、ちょうど坂ノ下商店の前で飛雄くんが立ち止まった。淡い蛍光灯の明かりが夜の道を照らす。
「名前さん、ここでちょっと待っててもらえますか」
「あ、うん。わかった」
そう言って、坂ノ下商店に吸い込まれるように消えてゆく飛雄くんの背中。一人になると感じるのは僅かに残る夏の終わりの雰囲気。それでも微かに肌寒い空気はこれからやってくる秋を確かに示していた。
付き合って一ヶ月記念日を祝わない彼氏は彼氏じゃない、と刷り込まれているのだとしたら、飛雄くんは今日、私の彼氏である為にこうして肩を並べてくれているのだろうか。体育館に残って練習したかっただろうに、今日ばかりはと私を優先してくれたのだろうか。
飛雄くんの頭の中を想像するとなんだか可愛くて口元が緩む。こんな可愛くてかっこいい人が、私の彼氏。
「名前さん」
程なくして戻ってきた飛雄くんの声に顔を上げる。
「これ、どうぞ。熱いんで気を付けてください」
差し出されたのは紙袋に包まれた中華まんだった。包装紙に並ぶ『カレーまん』の文字。
火傷しないように気をつけながら受け取った中華まんは言われた通りに熱かったけれど、訪れる秋の肌寒い風の中にあるその熱さはどこか心地良くもある。
「一ヶ月記念のプレゼントです」
飛雄くんは言う。
「あはは。ありがと」
私は笑う。
半分に割ったカレーまんからはスパイスの良い香りが漂った。
「半分こね」
「あざっす」
「飛雄くん」
「はい」
秋も冬も春も夏も。記念日も、記念日じゃない日も。カップルらしい事が出来ない日々が続いたとしても、私たちのペースで距離を縮めていければ良い。
だってまだ一ヶ月。私達は始まったばかりなのだから。
「これからもよろしくね」
大きな口を開けてカレーまんを頬張る私を、飛雄くんは柔らかい表情で見つめていた。