「ねえ、バレー教えてよ」

 前触れのない私の言葉に、バレー雑誌を読んでいた徹は驚きながら顔を上げて私のほうを見た。秋から冬に変わろうとしている少し肌寒いある休日の事だった。

「え、今?」
「うん。今」

 友達以上恋人未満。私たちの関係は、いわゆる、そういう危ういやつ。幼なじみと呼ぶには図々しい気がして、私はそういう風に思うようにしている。

「なんで?」
「なんとなく」
「今までそんなこと言わなかったのに」
「教えてよ。ちょっとだけで良いから」

 食い下がる私の様子に徹は折れて、部屋の隅に置かれたバレーボールを片手で拾った。私の格好を見たあと「いいよ。最初はちょっと寒いだろうけど我慢して」と言ってそこらへんに置かれてあった私にパーカーを投げる。

「⋯⋯ありがとうございます」

 徹の言ったように外は肌寒くて、羽織ったパーカーの前をしめる。明らかに大きいそれは、袖を捲らないと手が出ない。

「じゃあレシーブね。俺の方に返すようにしてみて」
「了解」

 放物線を描いたバレーボール。私の腕に当たって、徹の元に戻る。

「出来るじゃん。普通に」
「まあ、これくらいはね」
「教えることなくない?」
「まあまあ、とりあえず続けようよ」
「じゃあ、ラリーしよう」

 そう言って、私たちの間をボールが飛ぶ。私が下手なレシーブをしても、徹は絶対に綺麗な形で私が返しやすいボールを返してくれた。
 それは徹の長年の努力が作り上げた技術だ。どんなに辛くても、苦しくても、努力し続けた徹の技術なのだ。春高に行くことはない。もう高校バレーは出来ない。だけど徹はこれからもバレーと共に生きていくのだろう。

「私、徹は呪われてると思う」
「ハァ!? いきなりなにちょっとヤメテよそーゆーの!」
「多分死ぬまでそう」
「いや怖い怖い怖い」

 ボフッと鈍い音をたててボールが徹の手の中に収まった。短いため息を吐いたあと不服そうに言う。

「前、岩ちゃんに俺はじーちゃんになるまで幸せになれないって言われたの思い出した」
「それはなんか⋯⋯わかる気がする」
「わからないでよ!」

 私は少し口角を上げてその場にしゃがみこんだ。身体はまだ少し寒くて身を抱き締めるようにいると徹が傍にやって来て「寒い?」と聞く。「ちょっとね」私がそういうと徹は同じようにしゃがみこんだ。

「徹はさ、バレーから離れられないんだよ。死ぬまで」
「死ぬまで?」
「うん。そういう呪い」
「それが呪いなの?」
「そうだよ。徹は努力の天才だから、そこから逃れられない。徹に努力させるために神様は徹の前に次々試練をおいてるんだよ」
「嫌な神様なんだけど」
「でも徹はバレー辞めないでしょ? これまでも辞めなかったし、これからもやり続ける」
「⋯⋯まあね」
「才能とか天才とか、そういうのはある種の呪いだと思う。神様の贈り物なんて優しすぎる」

 いつも、徹の前には大きな壁があった。それは冷酷で残忍で容赦なく現実を彼に突きつけてきた。だけどそれでも徹は背を向けなかった。はじめが居ることも大きな要因だっただろう。私は何も出来なくてただ見ているだけだったけれど。
 もし神様がいて、徹を作り上げたとするなら、神様は彼に呪いを贈ったのだ。バレーを愛して愛してやまない子になるようにと。たゆまぬ努力と、その才に驕れることのないようにと、優しくて無責任な贈り物を。

「俺、全然幸せになれないじゃん」
「ははは。はじめにも言われちゃってるしね」
「じゃあさ」

 隣にしゃがんだ徹が私を見つめる。普段は身長差があって見上げるばかりでも、こういう体勢だと目線が近くて途端に緊張する。整った顔は真剣な面持ちだった。

「じゃあ、名前が俺のこと幸せにしてよ」
「⋯⋯え?」
「名前が俺の呪い解いてよ」
「私が?」
「うん」
「無理無理! 私じゃどうしようもならないやつだもん、それ」
「ひど! 人が真剣に言ってるのに! てゆーか雰囲気! 雰囲気を感じて!」

 徹がご立腹なのを見て、私は笑ってから答えた。

「まあ、でもその呪いは私に解けないけど、幸せには出来るかもね。私に出来る範囲で、だけど」

 徹はまた私をじっと見つめた。何かを考えるように、言葉もなく一通り私の顔を見たあと、視線を外して呟くような声で言った。

「⋯⋯俺の事好きになって」
「え?」
「いつでもキス出来る関係になって。そしたら俺、凄い幸せになれるんだけど。呪いに負けないくらい」

 珍しく、頬を染めた徹と目が合う。子供の頃に内緒話をしていたみたいな感覚が甦る。

「確かに俺はこれからもバレーをするよ。多分やめられない。名前の言う通り、それは本当に呪いなのかもね。辛いこともあるし、苦しいこともあるし、でもその分、幸せも喜びもたくさんある。そういうめんどくさい俺の事好きになってずっと一緒にてよ。それは無理?」

 今度は私が頬を染める番だった。気付いたらいつの間にか寒さよりも別の感情が身体を埋め尽くしている。

「⋯⋯無理、じゃない」

 めんどくさい徹の人生に私が居ても良いのなら。いいよ。全然。一緒にいる。
 はにかんで笑う徹が私の頬に手を伸ばして「冷たいね」と言う。そう言う徹の手だって冷たいけどね。言う前に言葉を徹は紡いだ。

「ほら、もう幸せになった」

(18.06.08)