「……おれ、今日別々で帰るから」

 校門を出た後、クロにそう告げる。その言葉に夜久くんと虎がこっちを見たけど、その視線には合わせないようにして顔を背けた。夏休み中の部活終わり、いつもと違う行動をするおれを周りがどう思ったのかは知らない。

「了解。楽しんでこいよ」

 一人、全てを把握しているクロだけがそう言っておれを送り出す。8月下旬。名字からの誘いがなかったら、夕方の西日の日差しを浴びて神社につながる坂道を歩くことは絶対になかった。

『もうすぐ着くから』

 名字と付き合うことになって、どこかにちゃんと出かけるのはこれが初めてだった。おれは部活で忙しかったし、名字も名字で塾とか習い事で忙しかったし。
 電話越し、家の近くで行われる納涼祭に一緒行こうと名字から誘われたのはつい先週の話。

――け、研磨くんさえ大丈夫なら、なんだけど……!

 誰かと付き合うことは初めてだからどれが正解かなんてわかんないし、どうすべきかもよくわからないけど、でも多分、なんとなく名字は頑張ってそう言ってくれた気がする。
 お祭りとか別に好きじゃないし。人込みにわざわざ好んで行く理由とかわかんないし。暑いのも嫌だし、帰ってゲームしたいけど。でも、不思議と断る選択肢はなった。

「……いいよ」

 緊張が伝わってくるスマホの向こうで、だから、おれはそう言った。






 音駒高校からはバスで20分。参道を歩くと見える大きな鳥居。あの下に名字がいる。

「研磨くん!」

 名字はすぐにおれのことを見つけて名前を呼んだ。すでに人で込み合っている参道をどうにか抜け、早くも心が折れかけた気持ちを名字の声が引き戻す。

「……ごめん、思ったより道が混んでて」
「ううん。部活帰りで疲れてるのに今日良いよって言ってくれてありがとう」
「それは、別に……まあ」

 歯切れの悪い返事しかできない。
 クロとか夜久くんなら、きっともっと良い返事が出来るんだろうけど、選択肢が表示されない現実じゃ「彼氏」として何を言うべきなのかおれにはさっぱりわからなかった。

「研磨くん」
「なに」
「やっぱり部活大変だった?」
「え……なんで」
「なんか難しそうな顔してる」

 困ったように眉を寄せて心配の言葉をかける名字。凝視する視線。夜を落としたような眼球に、おれが映ってる。居心地が悪いとも、嫌悪感とも違う決まりの悪さ。

「……納涼祭って言うくせに暑いなって思っただけ」
「あはは。研磨くんらしい」
「それより、名字は浴衣着るのかと思ってた」

 連なる提灯の下を歩いていると、境内から聞こえてくる太鼓の音。浴衣姿の小さい女の子が真横を走り去ったのを目に入れて、おれは思わずそう言った。

「一瞬迷ったんだけど研磨くんジャージだし、なんか隣に並んだら変な感じするかなぁと思ってやめちゃった。納涼祭だけど初デートで研磨くんジャージなのに私だけ浴衣姿とか浮かれてるみたいじゃない? 気合入ってます! って。……まあ、私服でも全部初めてのことばっかりだし結局浮かれてはいるんだけど」

 気恥ずかしそうな声色。
 ゆっくり沈んでゆく8月の空はいよいよ夜の姿を見せ始めて、なんとなく、人も増えてきた気がする。まだ秋を感じさせない夏の夜風が温く、間を抜けた。
 浮かれてるほうが名字っぽい感じするし。そんな思いを寸前のところで飲み込む。賑やかな音はどんどん大きくなって、身体の内側に響いてくるような勢いにおれはちょっとだけ圧倒される。
 でも、悪くはなかった。うまく言えないけど「早く家に帰りたい」にならない自分が変な感じだった。

「えっと……研磨くん、お腹空いてる?」
「少しは」
「屋台、たくさんあるわけじゃないけど何があるか見てみない?」
「良いけど」

 楽しそうに、嬉しそうに名字は言う。それは、先ほどすれ違った小さな女の子と変わらない。

「研磨くんアップルパイ好きだもんね。リンゴ飴あるかなぁ」
「どうだろう」
「人増えたね。研磨くん、大丈夫?」
「……出来るだけ頑張ってはぐれないようにする」

 提灯の淡い明かりが名字の頬を照らす。夜になればなるほど明るくなっていく周囲がいつもと違って、名字が名字じゃないみたいでなんて言うか、もどかしい。

「名字」

 出来るだけ夜に溶かすようにその名前を呼んだ。小首をかしげる名字を可愛いなって思ったのは紛れもない事実で、こういうの初めてだし、これで良いのかどうかわかんないし、人込みも暑いのもやっぱり嫌だと思うけど。

「……手」
「え?」
「……手、繋いだほうが、はぐれないんじゃない……多分」

 名字の口が金魚みたいにパクパクと動く。何を言葉にすれば良いのか迷っているその様子に、こういう夜もたまには良いかなって思った。

(21.09.08 / 80万打リクエスト企画)