彼にとって今日という日は、長く続く人生のほんの一瞬の1日なのだろう。

「え、遊園地のチケット?」
「そ。今まで頑張ってくれたマネージャーに俺たちからのプレゼント。それに今月名字の誕生日でしょ? 部活も終わったんだしさ、受験勉強の息抜きに行ってきてよ」

 及川から手渡されたのは県内にある遊園地のチケットだった。いつの間に買ったのとか、なんで遊園地なのとか、プレゼントってなんでいきなりとか、聞きたいことはあったけれど、及川の表情と言葉を前にして、ああ本当にもうあのメンバーでバレーをすることはないんだなあと思ってしまった。
 それが妙に悲しくて、聞きたかったことは何一つ聞けなかった。及川たちはもう、未来を見据えている。今を受け入れて。あーあ。このままもうちょっと。なんて思っているのはやっぱり私だけなんだろうな。

「ペアだから友達とか誘ってさ」
「⋯⋯及川」
「ん?」
「なら、及川と行きたいんだけど」

 一瞬、体温が上昇した気がした。くらりと目眩がしてしまいそうな錯覚。目の前にいる及川の顔が上手く見られない。それでも手にした遊園地のチケットを見ると及川の顔しか思い浮かばなかった。
 私たちの時間は、光のスピードみたいに驚くほど早く過ぎていくから。躊躇う時間すら、もう無いように思えた。

「え、俺?」

 案の定、及川は驚いていた。

「嫌ならいいけど」
「嫌⋯⋯じゃないけど、名字は俺が良いの?」
「多分。及川は部長で一番話す機会も多かったし、それに最後に思い出つくってもいいかなって。ほら、将来及川が有名なバレー選手になったら自慢できるでしょ?」

 笑顔も、嘘も、我慢をするのも、少しだけ本音を伝えることも、全部上手になった気がする。そうやって大人になってくのだと教えてくれたのはもしかしたら、この人だったのかもしれない。
 私はじっと及川を見る。整った顔立ち。私は3年間、この人に恋をしていた。

「んー、わかった。いいよ。なんかプレゼントしておいて変な感じするけど、一緒にいこ」

 さらりとした、5月の青い風のような爽やかさを持った及川の笑みを前にして、私はありがとうと言うのが精一杯だった。多分、いいや、絶対。彼にとって私はただのマネージャーで、良くて少し仲のよい女友達で、私はこれから先の未来でも、理由もなく隣を歩ける存在にはならないのだと思う。これは予感に似た確信だ。

▽  ▲  ▽


 ただひとつ、胸を締め付けて止まない思い出があればいいと思った。それはとても静かな恋。想うだけで良かった。だから、最後にと私は願ったのだ。
 晴れ渡った空は少しずつ色を変える。黄昏時。残された時間はもう少ない。

「あれに乗りたい」
「観覧車?」
「うん」

 私が指差した先にある観覧車を及川は見つめる。デートと言えるほどに甘さもない今日という1日を締め括るにはこれしかないだろうと思った。

「けどさ」

 観覧車に乗ってすぐ、及川が口を開く。

「まさか本当に名字と二人で遊園地に来るなんて思ってなかった」
「ええ? なにそれ」
「だってなんか遊園地といえばデートじゃん」
「デートらしいムードは一切なかったけど」
「実際デートじゃないんだからいいでしょ」
「ちょっと及川失礼だよ」

 乾いた笑い。喉がくっつきそう。一周約10分。「長くない?」「まあいいじゃん」私はその会話さえ、忘れることはない。

「本当にさ」
「え?」
「あ、いや、俺だけじゃなくて俺たち全員思ってる事なんだけど、本当に3年間ありがとね」
「それ、今言う?」
「そういう場面じゃない?」
「そうかな?」
「そうだって。春高、行けなくてごめんな」
「及川が謝ることじゃないでしょ」
「いやでもこういうのはセオリーみたいなものじゃん」
「そっか。⋯⋯そうかあ」

 観覧車は頂上へ到達しようとしている。燃えるような赤と、全てを飲み込むような藍が混ざりあって溶けようとしている。終わる。今日が。私の思い出が。青春の全てが。
 衝くような感情に思わず涙が溢れそうになった。彼にとって今日という日は、長く続く人生のほんの一瞬の1日なのだろう。けれど私は彼にとっての一瞬を永遠に大事に胸にしまっておくのだ。

「⋯⋯私も」
「え?」
「私も、楽しかった。マネージャーで良かった」

 あなたを好きになれて良かった。その想いだけ、この小さい箱の中において私も未来へ進む。

「⋯⋯うん」

 観覧車は頂上へ到達し、ゆっくりとまた下ってゆく。回れ。回れ。どこまでも、いつまでも回れ。そう思いながら私は残された時間を噛み締める。胸を締め付けて止まない思い出は、私だけに宿る。

(16.09.05)