友人と共に、ふらりと入った書店の一角に置かれていた雑誌を手に取った。その表紙を飾る人物を私はよく知っていたから。
 及川徹。高校卒業後に単身アルゼンチンへと渡り、バレーボール男子アルゼンチン代表としてオリンピックに出場した男。帰化により国籍はアルゼンチンであるものの、その甘いルックスも相まって東京オリンピック以降は日本でのファンも増えたと言う。
 そして、私の高校時代の友人。だけど表紙を飾る及川くんの姿は高校時代よりも雄々しく、一層自信に満ちた顔付きで、その堂々たる姿に私の知らない人のようにも思えてしまった。

「名前、バレー好きなんだっけ?」
「ああ、うん。まあ人並みに」
「及川選手かっこいいよね」
「そうだね」

 雑誌の山から一冊手に取り、友人は及川くんをまじまじと見つめながら言う。

「こういう人がタイプ?」
「タイプっていうか、高校が一緒だったんだ」

 言うと、友人は目を見開いた。

「うそ! 及川選手と同級生? 仲良かった? まさか付き合ってたとか!?」
「まさか。ただのクラスメイトだよ。むしろ及川くんの幼馴染の男の子と仲良かったし」
「連絡先は知ってる?」
「一応。ほとんど連絡なんてとらないけど」

 それでも友人は羨望の言葉を繰り返した。口には出さなかったけれど、週末、一時帰国している及川くんと会う約束がある。もちろんふたりきりではなく及川くんの幼馴染である岩泉も交えた3人で、だ。会うのはいつ以来だろう。もう2年くらいは会っていない気がする。
 最後に会った日の事を思い出しながら、私はじっと雑誌の表紙の中で大胆不敵に笑う及川徹を見つめた。高校生の頃の面影はもちろんある。でも培われた経験が確かに及川くんを大人にしていて、やはり私の知らない人ようで妙な気分だった。


▽  ▲  ▽


 約束の日はそれからすぐにやってきた。当日の仕事が散々だったせいもあってか、私はついつい浴びる様にお酒を飲んでしまった。
 結局3件居酒屋をはしごし、終電が無くなる前にと2人に手を振って別れを告げようとする私を引き止めたのは及川くんだった。

「待って、名前ちゃん。送る。こんな遅い時間に女の子を一人で帰るのは見過ごせない」

 見過ごせない。なんかヒーローみたいな台詞。しかももう女の子って年齢でもないし。
 酔いの回る頭で、及川くんを見つめながらそんな事を考える。雑誌の表紙を飾っていた及川くんと、今私の目の前にいる及川くんは同一人物なのに、やっぱり違う人みたい。

「帰り道、こっち?」
「うん」

 夜風が柔らかくわたし達の間を通る中、程よい距離感を保って肩を並べる。
 酔っ払っているせいでつい笑ってしまいそうになったけれど、かっこいい顔でかっこいい台詞を言われると自分がまるで映画かドラマのヒロインにでもなったんじゃないかなと思ってしまう。
 決してそんなことはないと言い聞かせるように私は違う話題を口にした。

「この前、書店で及川くんが表紙の雑誌見つけたよ」
「かっこよく写ってた?」
「うん。かっこいいから、別人みたいで驚いた」
「それだと普段の俺がかっこよくないみたいじゃない?」
「あっ……確かに。でもかっこ良すぎて別人みたいだなぁって意味だから誤解しないで! 普段から及川くんはかっこいいって思ってるよ」

 でもあの表紙は、メディアを通してみる及川くんは、私の知らない及川くんみたいでちょっとだけ寂しかった。その言葉は絶対に言わない。
 だって私と及川くんは、連絡先は知っていてもほとんどやりとりをしないし、及川くんが帰国した時にみんなで飲みに行く程度の関係性なんだから。

「名前ちゃんが俺のこと褒めてくれたの初めてじゃない?」
「そう?」
「そうだよ。初めてかっこいいって言われた気がする」
「でも及川くんってずっとかっこいいから今更かなって。それにかっこいいなんて言われ馴れてるでしょ、及川くん」
「名前ちゃんに言ってもらえたから嬉しいんだよ」
「……え?」

 それこそ、今更。
 曖昧に笑う私を見る及川くんの瞳は少しだけ熱っぽかったから、私は言葉を無くしてその瞳を見つめかえすことしか出来なかった。

「何でもない。行こっか」

 見えるのは、歩き出した及川くんの広い背中。今の言葉に、その表情に、その行動に、どんな意味が込められているのだろう。それともこれは全て私の気のせいなのだろうか。ぐるぐると世界が回る。甘くてほろ苦い果実酒を飲んだ時みたい。

「お、及川くん!」

 慌てて名前を呼ぶ。足を止め、振り向いた及川くんは私のよく知る及川徹だった。いたずらな笑み。
 狡い人だ。記憶の奥底にしまった淡い恋の一欠片を安易に掬い上げ私に注いでくるのだから。

(16.04.30 / 23.05.26)