「お前もっと女らしくしろよ」

 賢二郎は嫌悪感の溢れる瞳を携えて言った。
 セミの声が忙しなく聞こえる、8月半ば。お盆になると毎年、白布家の人間はおばあちゃんとおじいちゃんの家に集まる。会ったことのない身内へのお墓参り。例に漏れず、今年もまたこの季節がやってきた。
 バレーで忙しい賢二郎は今さっきここに着いたかと思うと、縁側でアイスを食べていた私を見て開口一番にそう言ったのだ。いや、もっと他にかける言葉があるだろう。お久しぶり、元気? だとか。久しぶりに会ういとこなんだからさ。

「下着見えるぞ」

 大きなバッグを肩からかけたまま、軽蔑するようにまた言われる。確かに、ショートパンツとキャミソールだけのこの格好は気を抜いたら下着が見えてしまうかもしれない。けれど今はみんな買い物に行ってるし、人がきたら何か羽織るつもりだったし、突然賢二郎がやってきたんだから私に否はないはずだ。と、反論する前に溶けかけのアイスを一気の口に放り込む。

「賢二郎のえっち」
「⋯⋯は?」

 からかうようにそう言うと、賢二郎はそれまでの比ではないくらいに信じられないというような顔をした。なるほど、こういう返し方はダメだったのか。と側に置いていた薄手のロングカーディガンを羽織る。

「うそうそ、ごめん。はい、これで少しは女らしくなりましたでしょーか」

 カーディガンでは覆われない脚に賢二郎の視線が向かれた。賢二郎が何を思ったのかは知らないが、一度深い溜め息を吐く。

「荷物置いてくる」

 変わらない賢二郎の態度に私は肩透かしをくらう。2つ年の差はあれど、小さな頃からこうやって行事がある度に会ってきたのだから少しは可愛いげを見せてくれてもいいのに。今さら年上を敬えとは言わないけれど、もっとこうあるでしょ。年を重ねる事に賢二郎の私への態度は辛辣なものになっている気がする。悲しい。私はこんなにも賢二郎のこと可愛いと思ってるのに。

「待って! 私も行く。アイスもいっこ食べる」
「太るぞ」
「箱入りの小さいやつだから大丈夫」
「⋯⋯あっそ」

 縁側に届く太陽の光が、賢二郎の髪に反射する。私の前をあるく賢二郎は、見るたび見るたび大きくなっている気がする。中学生くらいの時に追い越されたときは地味に悔しかったことを思い出した。今となっては良い思い出だけど。

「賢二郎、背伸びたねぇ」
「まだ全然足りない」
「え〜高くなりすぎると寂しいよ。てゆーか天井にぶつかるよ!」

 居間の端に荷物に置いた賢二郎は台所へ向かうと冷蔵庫から麦茶を取り出してそれを一気に飲み干した。その様子を見ながらアイスをもう1つ食べようとした私を、賢二郎は「まじかよ⋯⋯」と小さい声で言いながら見返す。

「あ、賢二郎も食べる?」
「いらねー」
「残念」

 食べるって言ったら半分こできるやつにしようと思ったのに。私たちが来るからっておばあちゃんたちが張り切って買い込んでくれたお菓子たちを無駄にするわけにはいかない。アイスを口に含む私を見ないで賢二郎は言う。

「そんなに食ったらブクブク太るぞ」
「ほんとね。わかってるけど止まらない」
「彼氏にフラれても知らねえからな」
「いないし、平気。あ、いや、いないからって太るのは平気じゃないか⋯⋯でもこれは食べるけどね」
「は?」
「え?」
「彼氏いねえの?」
「うん」
「この間言ってたやつは?」
「一ヶ月前に別れた」
「軽⋯⋯」
「なんか違うってさ。私とは友達だから楽しいんだなって思ったらしいよ」 

 ふーん。と賢二郎は言う。別に全く引きずっていないわけじゃないけど、それでも一ヶ月は経ったわけだし。悲しいけれど、泣くほどの恋ではなかった。

「賢二郎は?」
「なにが?」
「彼女。いないの?」
「いない、けど」
「モテないんだ?」
「なんでそうなるんだよ。つくる気ないだけだから」
「ふーん⋯⋯もったいない」

 せっかくの高校生活なのに。卒業しちゃったら制服デート出来ないのに。けど賢二郎の言う事が事実か否かはわからない。もしかすると私に本当のことを言いたくないだけなのかもしれないし。だって私、賢二郎からそういう話を聞いたこと一度もなかったから。顔は整ってるんだから性格の問題? だとしても運動神経だって良いし彼女の一人や二人いてもおかしくないだろうに。

「なんだよ、もったいないって」
「格好いいし、彼女くらいすぐに出来そうなのになって思って」

 そう笑いながら言うと、賢二郎は驚いた顔を見せて一瞬だけ動作を停止させた。

「⋯⋯なに、名前は俺のこと格好いいって思ってたわけ?」
「え? あ、うん。身内の贔屓目抜かしても賢二郎は顔整ってるとーー」

 言葉が続かなかったのは、賢二郎が予想できなかった距離まで近づいて来たかからだ。反射的にアイスを持っていた方の腕を、彼に当たらないようにと少しだけ伸ばした。

「ち、かくない?」

 ずいぶんと伸びた賢二郎を見上げる。あれ、賢二郎ってこんな感じだったっけ? 突然の事にパニックに陥りそうになる。怒ってる? 何かまずいこと言った? 溶け始めたアイスが指に垂れるのが分かったけれど、私は動けないままだった。

「⋯⋯じゃあ、こういうのはドキドキしたりすんの?」

 賢二郎は言い終わるとすぐに、アイスを持っていた腕を掴んで私の手元を口許に寄せた。指に垂れたアイスを、拭うように賢二郎が舌でなぞる。ドキドキというか、ゾワゾワというか、ゾクゾクというか。何とも言えない奇妙な初めての感覚に心臓が鳥肌を立てているみたいだ。
 これがあの賢二郎? 泣き虫で、私の後ろを着いてきてた賢二郎? そんな官能的な瞳、私は知らない。苦しくなる呼吸で絞り出すように言う。

「な、にして」
「⋯⋯別に」

 そうしてようやく私から離れた賢二郎は背を向けて居間のほうへ歩いていった。残された私はただ呆然と、また垂れ始めたアイスにも気が付かないまま、先程の一連の流れを頭の中で繰り返し再生させていた。
 それでもどうにか最後まで食べきって、ベタベタになった手を洗って、居間にいる賢二郎の後ろ姿を確認して、迷った挙げ句「ねえ」と声をかけた。

「あの、あーゆーの、その、よくやるの?」
「ああいうの?」
「だから、その、さっきみたいなの。な、舐めるやつ」
「は? やるわけないっつーの」
「え、じゃあなんで⋯⋯」

 やったの? からかうにしては度が過ぎていると思うんですけど。と、言えないまま賢二郎の返事を待っていると、ふと髪の毛から覗く耳たぶが赤く染まるのが見えた。え、と驚いて賢二郎の名前を呼ぼうとしたとき待っていた返事がやってくる。

「少しは自分で考えろ、バーカ」

 賢二郎の赤い耳たぶ。私の高鳴る鼓動。それは夏の暑さのせいなのか、それとも。その答えが私たちの間に存在するかどうか冷静に考えるにはやはり、今日という日は暑すぎるのではないかと思ってしまった。

(17.09.30)