忘れられない恋とは死ぬまで忘れることはできないのだろうか。それとも、それでもいつかは忘れるようにできているのだろうか。
そんなことを、時々考えたりする。
底冷えするような冬の日だったり、倒れてしまいそうになる炎天下の日だったり、深夜の静寂の中だったり。
都心で初雪を観測したある日、薄く積もった雪の上を歩いていると赤いマフラーを巻いた男性とすれ違った。その瞬間、私は何故か京治くんのことを思い出して、また『忘れられない恋とはなんたるか』について考えてしまった。
高校生の時に3年間ほど付き合っていた人。私の初めての彼氏。大学入学後に別れてから今も未練たらしく想っているわけではない。ただ時々、日常のふとした瞬間に思い出す、私にとっての忘れられない恋。
「もしかして名前?」
冷たい冬の空気の間を抜けて、その声が私に届いたのはそんな折だった。ぼんやりと歩いていた私の意識を取り戻すには十分過ぎる出来事に足が止まる。
「え」
京治くんが、いた。私の記憶の中にいる京治くんよりずっと大人びた顔つきだった。
お互い驚きの表情を隠せずに見つめあった一瞬、過ごしてきた3年間の記憶が洪水のように押し寄せて、心を揺らす。
「久しぶり」
「久し、ぶり」
「こんなところで会うなんて思わなかったから驚いた」
「だね」
「仕事帰り?」
「うん。職場がこの近くで」
数年間の空白が嘘のように思えるのは、過去の日々がお互いにとって心地よいものだったからだろうか。
「俺も仕事で……まあ、外回りみたいな感じ。今は直帰するところだったんだけど」
外回りと言うものの、京治くんはスーツを着ているわけではない。カジュアルスマートな服装で外回りをする仕事を考えてみたけれど、営業でないことは確かなんだろうなと思うくらいだった。
「そうなんだ。仕事大変そうだけど、元気でよかった」
「名前も」
どう足掻いても忘れられなかった人が今、目の前に立っている。その事実がゆっくりと、しっかりと、現実を突きつける。
どうして今このタイミングなんだろう。せめてもう少し完璧な状態の時に会いたかった。少なくとも仕事終わりの疲れた顔では会いたくなかった。
それでも私は大人だからそんな動揺を悟られないように取り繕う。動揺も期待も悲しみも思い出も全部全部、今の私は上手に隠せる。まるで種も仕掛けもない手品みたいに。
「お互い仕事でってことは、もしかしたら意外とこれまでもすれ違ってたのかもね」
「俺がこっちに来るようになったのは最近だからどうだろう」
「今は何の仕事してるの?」
「漫画の編集」
「すごい!」
「そんな事ないよ」
「でも、なんかちょっと京治くんに合ってる気がする」
「どこら辺が?」
「叱咤激励上手だし、支えてくれるところとか、アドバイス的確なところとか。それに京治くん、優しいし」
「優しいって関係ある?」
「私が漫画家だったら厳しいより優しいがいいなぁって」
「名前だから優しく接してたつもりだったんだけど」
京治くんが小さく笑う。
忘れられない恋とは死ぬまで忘れることは出来ないのだろうか。それとも、それでもいつかは忘れてしまうようにできているのだろうか。
「……そっか」
「うん」
「そっかぁ……」
そうだったね、京治くんって優しいけれどこんな風にちょっとずるい所あったよね。
困ったな。今、不覚にもちょっとキュンとしちゃった。
「偶然だけど、今日ここで会えてよかった」
京治くんに彼女がいるのか結婚しているのかわからないし聞くつもりもない。ただ、私が大好きだったこの人が、今、幸せだったらいいなと思った。
私はきっと、これからも時々思い出すのだろう。あの頃と変わらない優しく柔らかい瞳や耳あたりの良い声、見上げた先にある喉仏なんかを。
「それじゃあ電車も来ちゃうしそろそろ行くね、京治くん。いつかどこかでまた会えたらいいね」
手を振る。
真横を通り過ぎる。
視界から京治くんがいなくなる。
「待って」
だけど、京治くんが私の腕を掴んだ。
「ごめん」
私たちを包む面映ゆい沈黙。
「ごめん。でも」
京治くんはもう一度謝った。
「でも、まだ話がしたい」
忘れられない恋とは死ぬまで忘れることは出来ないのだろうか。それとも、それでもいつかは忘れてしまうようにできているのだろうか。
もう何度も考えた問いをまた考える。ぐるぐると頭の中を巡って、答えを探し出そうとする。
「名前が嫌じゃなければだけど」
私に僅かな逃げ道を示そうとしているのか、京治くんは慌てて言い加えた。京治くんを見つめる。大人になったね、京治くん。それは私もなんだろうけれど。
深呼吸。
仕方ない。答えの出ない問いの答えを探すのはやめにしよう。だって、今はただ目の前に差し出された京治くんの言葉を素直に受け取るしか私には出来ないから。
「嫌じゃない。話したいこと、たくさんある」
薄く雪が積もった道に2人分の足跡が並んだ。
(24.06.13)
そんなことを、時々考えたりする。
底冷えするような冬の日だったり、倒れてしまいそうになる炎天下の日だったり、深夜の静寂の中だったり。
都心で初雪を観測したある日、薄く積もった雪の上を歩いていると赤いマフラーを巻いた男性とすれ違った。その瞬間、私は何故か京治くんのことを思い出して、また『忘れられない恋とはなんたるか』について考えてしまった。
高校生の時に3年間ほど付き合っていた人。私の初めての彼氏。大学入学後に別れてから今も未練たらしく想っているわけではない。ただ時々、日常のふとした瞬間に思い出す、私にとっての忘れられない恋。
「もしかして名前?」
冷たい冬の空気の間を抜けて、その声が私に届いたのはそんな折だった。ぼんやりと歩いていた私の意識を取り戻すには十分過ぎる出来事に足が止まる。
「え」
京治くんが、いた。私の記憶の中にいる京治くんよりずっと大人びた顔つきだった。
お互い驚きの表情を隠せずに見つめあった一瞬、過ごしてきた3年間の記憶が洪水のように押し寄せて、心を揺らす。
「久しぶり」
「久し、ぶり」
「こんなところで会うなんて思わなかったから驚いた」
「だね」
「仕事帰り?」
「うん。職場がこの近くで」
数年間の空白が嘘のように思えるのは、過去の日々がお互いにとって心地よいものだったからだろうか。
「俺も仕事で……まあ、外回りみたいな感じ。今は直帰するところだったんだけど」
外回りと言うものの、京治くんはスーツを着ているわけではない。カジュアルスマートな服装で外回りをする仕事を考えてみたけれど、営業でないことは確かなんだろうなと思うくらいだった。
「そうなんだ。仕事大変そうだけど、元気でよかった」
「名前も」
どう足掻いても忘れられなかった人が今、目の前に立っている。その事実がゆっくりと、しっかりと、現実を突きつける。
どうして今このタイミングなんだろう。せめてもう少し完璧な状態の時に会いたかった。少なくとも仕事終わりの疲れた顔では会いたくなかった。
それでも私は大人だからそんな動揺を悟られないように取り繕う。動揺も期待も悲しみも思い出も全部全部、今の私は上手に隠せる。まるで種も仕掛けもない手品みたいに。
「お互い仕事でってことは、もしかしたら意外とこれまでもすれ違ってたのかもね」
「俺がこっちに来るようになったのは最近だからどうだろう」
「今は何の仕事してるの?」
「漫画の編集」
「すごい!」
「そんな事ないよ」
「でも、なんかちょっと京治くんに合ってる気がする」
「どこら辺が?」
「叱咤激励上手だし、支えてくれるところとか、アドバイス的確なところとか。それに京治くん、優しいし」
「優しいって関係ある?」
「私が漫画家だったら厳しいより優しいがいいなぁって」
「名前だから優しく接してたつもりだったんだけど」
京治くんが小さく笑う。
忘れられない恋とは死ぬまで忘れることは出来ないのだろうか。それとも、それでもいつかは忘れてしまうようにできているのだろうか。
「……そっか」
「うん」
「そっかぁ……」
そうだったね、京治くんって優しいけれどこんな風にちょっとずるい所あったよね。
困ったな。今、不覚にもちょっとキュンとしちゃった。
「偶然だけど、今日ここで会えてよかった」
京治くんに彼女がいるのか結婚しているのかわからないし聞くつもりもない。ただ、私が大好きだったこの人が、今、幸せだったらいいなと思った。
私はきっと、これからも時々思い出すのだろう。あの頃と変わらない優しく柔らかい瞳や耳あたりの良い声、見上げた先にある喉仏なんかを。
「それじゃあ電車も来ちゃうしそろそろ行くね、京治くん。いつかどこかでまた会えたらいいね」
手を振る。
真横を通り過ぎる。
視界から京治くんがいなくなる。
「待って」
だけど、京治くんが私の腕を掴んだ。
「ごめん」
私たちを包む面映ゆい沈黙。
「ごめん。でも」
京治くんはもう一度謝った。
「でも、まだ話がしたい」
忘れられない恋とは死ぬまで忘れることは出来ないのだろうか。それとも、それでもいつかは忘れてしまうようにできているのだろうか。
もう何度も考えた問いをまた考える。ぐるぐると頭の中を巡って、答えを探し出そうとする。
「名前が嫌じゃなければだけど」
私に僅かな逃げ道を示そうとしているのか、京治くんは慌てて言い加えた。京治くんを見つめる。大人になったね、京治くん。それは私もなんだろうけれど。
深呼吸。
仕方ない。答えの出ない問いの答えを探すのはやめにしよう。だって、今はただ目の前に差し出された京治くんの言葉を素直に受け取るしか私には出来ないから。
「嫌じゃない。話したいこと、たくさんある」
薄く雪が積もった道に2人分の足跡が並んだ。
(24.06.13)