人が何かにハマる瞬間っていうものを、私は初めて目の当たりにした。他の観客がそれに気が付いたかどうかは分からないけれど、私は蛍くんのその姿を見て一瞬で分かった。あ、蛍くんの様子が、色が、雰囲気が、瞳が変わったって。
 対白鳥沢。第2セット。マッチポイント。私は多分、あの瞬間を永遠に忘れない。

「ねぇねぇ、優勝祝い何が良いか決めた?」
「だから要らないって言ってるでしょ。それに県代表になれただけだから大袈裟」

 1月に東京で行われる通称、春高の宮城県代表に烏野が選ばれた。選ばれたと言うかその権利を勝ち取った。
 学校が終わった夜、近所の月島家へ親戚から届いた野菜をお裾分けしに行った時たまたま蛍くんが居て、コンビニに行きたいからと街頭の下を2人並んで歩く。

「大袈裟じゃないよ。凄いことだよ」

 私は烏野が代表に選ばれてからずっと蛍くんにお祝いするよと言っているのに、蛍くんは一向に私の案に応えてくれる様子は見受けられなかった。

「私は! 蛍くんに! なにか! したいです!」

 私がどれだけ蛍くんに対して何かをしたいと思っているのか、声に込めて言ってみても、蛍くんは少しめんどくさそうに眉を寄せるだけだ。

「えぇ⋯⋯」
「だって蛍くんかっこよかったし」

 烏野が落ちた強豪と呼ばれていることは知っていた。明光くんのこともあったし、蛍くんは決して嫌いになれないバレーを葛藤しながらも続けているんだろうなってそう思っていた。
 でもあの時、あの瞬間、私は自分の考えが間違っていたことを知った。蛍くんは誰よりもバレーが好きなのだ。自分に何が出来るかを考えて、自分が何をすべきかを考えて、顔には出さないけど蛍くんはバレーに対して熱い男なんだと思った。

「そんなに言われても要らないものは要らないし⋯⋯」

 私はあの時、蛍くんのバレーにハマる瞬間をみた。きっと蛍くんはこれからもっともっとバレーと向き合って、その分どんどん強くなってゆくだろうと悟った。
 だけど、ちょっとだけ寂しいよね。蛍くんの事ならなんでも知っていると思っていたのに、私の知らない顔をする蛍くんがいるんだから。あのコートの中にいる蛍くんは私の知らない、隣には並べない、どうしようもないくらいかっこいい蛍くんなんだから。

「そんなことより」
「うん?」
「春高、来てよ」
「えっ」

 元より言われなくても行くつもりだったけれど、蛍くんの口からそう言われるとは思っていなくて私は分かりやすく動揺した。蛍くんが自分から試合を観に来てって言ったこと今までないよね? 口を大きく開けたまま高い位置にある顔を見つめる。

「なにその顔」
「いや、だって、良いの? いやダメって言われても行くけど」
「別に⋯⋯県予選を勝つのも大変だったけど、春高もそれを上回るくらい大変だろうし、名前も応援しがいがあるんじゃないって思っただけ」
「するよ応援! 声張り上げる! 名前呼ぶ! 何回も!」

 蛍くんはこれから先もずっとバレーを続けていくのかな。それともバレーの選手になったりするのかな。これから先も、私は蛍くんのこと1番に応援できる存在であり続けられるかな。
 冬に繋がる夜の冷たい風が住宅街を吹き抜ける。あっという間にやってくる年明け、蛍くんはどれだけバレーと仲良くなっているんだろう。

「蛍くんは変わったよね」
「なに急に」
「前からかっこよかったけど、更にかっこよくなったし」
「⋯⋯だから、急に、なに」

 あ、珍しい照れてる。そう思いながら私は続けた。

「蛍くんがバレー好きなの嬉しいなって」
「いやなんで名前が嬉しくなるの。意味わかんないでしょ」
「楽しそうにしてる蛍くんを見られるんだから嬉しいでしょ」
「楽しそうになんて、してないし⋯⋯」
「してるよ。わかるよ。だって私ずっと蛍くんのこと見てきたんだもん。些細なことだって見逃さないよ」

 好きな人が、好きなことを出来る環境。好きなことを好きと思える環境。私は応援するだけしか出来ないけれど。でも私もあの瞬間思ったんだよ。私はこれから先、どんなときでも蛍くんを一生懸命に応援しようって。

「なにそれ。⋯⋯どんだけ僕のこと好きなの」
「えー? そんなの決まってるじゃん」

 照れた顔をそのままに、そう尋ねてくる蛍くんの瞳を真っ直ぐに見つめて私ははにかみながら言った。

「宇宙で1番好きだよ!」

 そう言えば蛍くんは「なんか馬鹿っぽい」と言って私の頭をぐしゃぐしゃに撫で回す。木枯らしが吹く、静かな夜のことだった。
 
(20.11.1)