ロンドンの入国審査は厳しいと聞いていたけれど、私があまりにも観光客らしい浮かれっぷりを醸し出していたのか、質問は数える程度で終わった。

「めっちゃ気合い入れて挑もうと思ったのにちょっと拍子抜けだったね」
「わざわざ返答用紙作ったんだっけ」
「そう。出発前日に徹夜して」
「だから飛行機乗って早々に寝てたんだ?」
「機内食の時起こしてくれてありがとう」
「楽しみにしてたみたいだったし」

 倫太郎が優しく微笑む。これから始まる数日間のロンドン旅行。想像するだけで足取りは軽くなり、ワクワクが止まらない。同じ飛行機に乗っていた他の乗客の背中を追いながらバゲージクレームを目指す。
 さすがヒースロー空港、そこに行くまでの道のりは長い。動く歩道を利用しながら歩いていると倫太郎が提案した。

「俺が変わりに入国審査しようか?」
「してして! 発音も勉強してきたから」
「How long will you be staying?」
「One weeks」
「How many times have you visited this country?」
「First time」
「じゃあ……What’s the purpose of your visit?」

 あえて咳払いをして間を空けた倫太郎がしてくれる質問に私は弾ける笑顔で入国目的を答えた。

「honeymoon!!」

 そう、私達の新婚旅行が始まるのだ。


♯︎  ♭︎  ♪︎


「そこ立って! あ、もう少し右。そうそう。いい感じ」

 地下鉄に乗ってホテルにチェックインした後、真っ先に向かったのはビックベンだった。ロンドンは至るところに有名観光地があるけれど、この場所も例外ではなくて、近くにはウェストミンスター寺院やロンドンアイなんかがある。
 有名な赤い電話ボックスとビックベンが写真に同時に収められる場所を事前にサーチしていた私はチェスターコートを着ている倫太郎に、カメラマンよろしくポージングの指示を出した。

「なんかこう、モデルっぽい感じ出して」
「なにそれ」
「ポケットに片手入れて視線外して⋯⋯みたいな」
「普通に恥ずかしいんだけど」
「でもめちゃくちゃかっこいいよ」
「一緒に撮らないの?」
「倫太郎の撮影が終わったら撮る」
「撮影って」

 倫太郎は仕方ないという風に私のお願いを聞いて、指示通りのポーズをしてくれる。この日のために買ったミラーレスとスマホにも一応何枚か収めて満足した私は倫太郎に駆け寄った。

「見てこんなにかっこよく撮れた! これEJPの宣材写真にしてほしいレベル」
「いや俺だけめちゃくちゃモデル気取ってる感じになっちゃうから。それより、ほら」

 そう言って私の肩を抱き寄せた倫太郎は、赤い電話ボックスとビックベンが収まるようにスマホのインカメでシャッターをきった。

「せっかくのハネムーンなんだからもっとツーショット増やそう」
「倫太郎〜⋯⋯好き!」
「ハイハイ、俺も俺も」

 何ヵ月も前から計画して、カウントダウンアプリを入れるくらい楽しみにしてて、一生懸命働いてもぎ取った連休だ。こんなの何があっても楽しい以外にない。
 時々日本人の観光客はいるけれど、大抵はイギリス、ひいてはヨーロッパの人達で自分達がどれだけ遠いところに着ているのか実感する。耳を掠める言語も、目に入る表記も英語。私の頭は忙しないくらいに動いてその度倫太郎は笑っていた。

「ここら辺観光した後はロンドン塔のほう行く? タワーブリッジも近いし」
「そうだね。そうしよう!」
「お昼ご飯はフィッシュアンドチップス?」
「うん。イギリスのご飯は本当に不味いか楽しみにしてるんだ」

 倫太郎は感情をわかりやすく表現するタイプではないけれど、私と同じように楽しんでくれているのはわかった。

「倫太郎、楽しい?」
「楽しいよ」
「そっか」
「なんで?」
「ううん。同じだから嬉しいなって」

 そう言って笑えば倫太郎が私の手のひらを握った。倫太郎にしては珍しい行動に、まじまじとその表情を見つめる。

「せっかくの新婚旅行だし、名前が迷子になったら困るから」
「ならないよ」
「どうかな。迷子になってホテルまで辿り着ける?」
「GPSあるから大丈夫だよ! 迷子になっちゃうくらい浮かれてないって」
「そっか」
「うん」
「じゃあ俺のほうが浮かれてるかも」
「え?」
「この手離したくないから」

 倫太郎は繋がれた手をわざとらしく少し上へ掲げた。あえてなのか、少しだけ力が込められる。

「繋がれててくれる?」
「もちろんだよ」

 ビッグベンを背にし、チェスターコートを着た倫太郎が妖艶に微笑むのを見て、高まるテンション。ああ、やっぱり私も浮かれているなと思った。新婚旅行は始まったばかりである。

(20.11.30)