こんな筈じゃないと思った。
スキー場に着いてスノーボードとウェアをレンタルし、スノーボードスタンドからそう離れていない人の邪魔にならない位置。ゲレンデから滑走するスキーヤーとスノーボーダーを見つめながら、これから始まるスノボーデートに想いを馳せた。
くすんだピンクとグレーのボードウェアを着ている名前がいつも以上に可愛く見えて、これがゲレンデマジックってやつかと内心少し感動する。いやいや3割増してなくても名前は本当に可愛いんだけど。
「あ、あれ。滑れるんだっけ?」
「んー……普通?」
手慣れた様子でバインディングを触り、俺よりも早くスタンバイが出来た状態を見た時に初めて「もしかして」と思った。
「あ、普通。へぇ、普通。え、でもなんか慣れてない?」
「雪国出身だから普通に滑れるくらいだよ」
いや絶対に普通じゃない。滑れます感が出てる。
「鉄朗は? 得意なんだっけ?」
「……まあまあかな」
「そっか。私もオーリーくらいしか出来ないんだけど、じゃあきっと同じくらいだね!」
いやオーリー出来んのかよ。
満面の笑みで言う名前が可愛いのに、このままでは格好良いところの1つも見せることは出来ないんじゃないかという焦りもうまれてくる。オーリーがなんだ。ノーリーがなんだ。トリックが出来なくたって、かっこいいはつくれる。……はずだ。
「じゃあ行くか」
「うん!」
まずは準備運動も兼ねて軽く滑ろうと、初心者向けの緩やかな斜面が特徴の第2コースを指差した。事前に何度かスキー場に通って練習もした。それなりに様になるように意識した。帰りの関係でナイターまでは居られないけれど、それでもそれまでにはきっと。
冬の男の淡い期待を、名前はきっと知る由もない。
「あー、この感じ久しぶりだなあ」
リフトに乗ってすぐ名前がそう言う。二人がけの固定循環式チェアリフトから見える、ゲレンデを滑走する人々。早くも頬を赤くさせているというのに名前からは期待や喜びしか感じ取れなかった。まるで寒さはロッジに置いてきたみたいに。
「一緒にボード行こうって言われた時は意外だなってびっくりしたけど、誘ってくれてありがとう」
「いやいやまだはじまりですよ、お嬢さん」
「テンションあがってきた」
「俺も」
「カイロもあるし、日焼け止めもあるから必要なら言ってね」
「ん。サンキュ」
「既に楽しくてやばいね」
「そうだな〜、やばいな」
最高。ただのウィンタースポーツデートしてるカップルじゃん。いや実際ただのウィンタースポーツしてるカップルなんだけど。今ならオーリーできるわ。なんならプレス系のトリックも出来ちゃう気がするんだけど。
っていう俺の余裕が打ち砕かれたのは第2コースを滑走し、最初のポイントに戻ってきた時だった。
「いや、オーリーどころかノーリーも普通に出来てんじゃん?」
「意外と感覚って忘れないものだね!」
はしゃぐ様子を隠すこともなく名前は言う。初心者向けの緩やかな斜面。まるでその斜面を制覇したかのように、名前は颯爽とボードを滑らせた。後ろで着いていくのがやっとだったとは口が裂けても言えない。
「鉄朗は? どう、調子」
「い、いやぁ、今日はあんまり良くないかもしれないな。ほら昨日研磨の家で焼き肉食べすぎちゃったから」
「えっ昨日焼き肉だったの? 羨まし〜」
本当はもっとあっさりトリックを決めて、なんなら滑れない怖いよって言う名前の手をとって滑り方を教えて、転んでしまった名前の所に格好良く現れて起き上がる手助けをするつもりだったのに。脳内シュミレーションはバッチリだったのに。
一体、何が悪かったと言うんだ。
「林間コースもいいし、ロングコースでひたすら滑るのもいいし、ここコースたくさんあるから迷うね」
「ソーダネ」
「あ、鉄朗も全然私に気にしないでトリックしてね」
「アッハイ」
俺は彼女の可愛い姿を見に来ただけだし。彼女が喜ぶ姿を見に来ただけだし。別にもうかっこいいとか見せようとか、あわよくばくらいにしか思ってないし。
ウェアの内ポケットに入れていたスマホが震える。手袋を外して確認すると、研磨から連絡がきていた。
『どう? スノボー』
「……名前」
「うん?」
「写真撮っていい?」
「いーよ!」
「じゃあまずはソロで」
「はーい」
くすんだピンクとグレーのボードウェアを着ているこの子、実はめちゃくちゃカッコいいんですよ、と言えばきっと研磨は笑うだろうなと思いながら返事をする。これから始まるスノボーデートに想いを馳せる。太陽の光を反射し、雪は眩しいくらいに輝いていた。
『彼女がめちゃくちゃかっこいい』
(21.01.02)