少しだけ伸びた髪の毛。毛先が肩で跳ねるようになってきて、このまま伸ばすかもう一度短く切るかを迷う。鏡の前で毛先を摘んでアレコレ考えてみるけれど、思い浮かぶのは夜久の事だ。

(可愛いって思ってもらえるほうがいいけど)

 そうなるとやっぱりもう一度切るほうが良いのかな。もう一度切って、今度はちゃんと好きって言おうかな。そしたら夜久は驚くのかな。

「あっ部活行かないと……」

 誰もいない女子トイレを後にして体育館に急ぐ。結ぶことも出来ない長さの髪は首元で揺れるだけ。中途半端は今の私の状況によく似ていた。


* * *


「伸びたな、髪」

 そう言われたのも部活終わりの帰り道で、空に浮かぶ満月に今日が中秋の名月だと言う事を思い出した。

「気がついたらね」
「切んの?」
「んー……迷ってる」

 切る、と言い切れなかったのは多分勇気がなかったから。切って、好きって言いたいけれど言えるだけの勇気を集めきれていない。

「夜久はどっちがいいと思う」

 自分で決めるべきことを夜久に聞くなんて狡いとわかっていたけれど、後押しが欲しかった。

「名字はどっちの自分が好きなんだよ」
「どっちの自分……」

 あ、そんな風に考えたことなかったなって目から鱗が落ちる感覚。髪を乾かすのが楽で、いちいち結わなくて良くて、でも実はスタイリングが面倒で。ショートはショートで嫌いじゃないけれど、ロングもロングで嫌いじゃなかったんだよね。編み込みするのも楽しかったし。

「……どっちも悪くないかなって思ってる」

 小さい声でそう言うと、夜久は堪え切れないと言うように笑い声をあげた。

「あ、悪い。バカにしてるとじゃなくて、なんか名字らしいっつーか」
「え?」
「実際どっちも似合ってるなって俺も思うし」

 やっぱり夜久のほうが狡いと思う。

「まあ個人的に好きなのはショートだけど」

 部活がなくなっても、制服を着られる自分じゃなくなっても、同じ学校に通えなくなっても、私は夜久ともっと話が出来る関係でありたい。結局いつだって、自分の状況を変えられるのは自分でしかないのだ。

「……前に私が髪を切った時、何で切ったのって夜久聞いたよね」
「あーそうだったな、確か」
「あの時、なんとなくって言ったけど、ごめん、嘘」
「嘘?」

 隣に並ぶ夜久を見上げる。切らなくても、言えるかな。

「夜久が、ショート好きなの、聞いたから」

 声が震えた。

「だから、可愛いって思ってもらいたくて、切った」

 夜久は悟りが良いからきっともう気がついている。いやもしかしたらもっと前から気がついていたかもしれない。なけなしの勇気を振り絞ったからか、もう夜久の顔はまともに見られなくて、ただ歩くのが精一杯だった。

「それに、夜久、私の性格悪くないって言ってたし……」

 俯くと、視界に入ってくる毛先。懐かしい感覚。研磨の言う目立ちたくないって今ならわかる気がする。

「……俺も正直に言うけど」
「う、うん」
「あれから名字の言った"そのままの意味"を考えてみて、結構嬉しいなって思った」

 止まりかけた足。嬉しい? 夜久の口から出てきた言葉を頭の中で繰り返す。夜久はちゃんと自惚れてくれてた? 私が髪を切った理由考えてくれていた?

「で、今名字の言葉を聞いて、もっと嬉しくなった」

 勢いよく顔をあげて、もう一度ちゃんと夜久を見つめる。夜久の頬が薄く色付いていて、あの日の夜と同じだと思った。

「えっと……夜久は私と同じ気持ちってことで、あってる?」
「そうだと良いなと思って過ごしてきたけど」

 内側から湧き上がる感情。花が咲くような高揚感と浮遊感。

「……やっぱり髪切ろうかな」
「だからどっちも似合ってるって」
「だって、可愛いって思ってもらえるならそっちのほうがいい」

 夜久は満足そうに笑って、私の手を握った。突然の事に驚いたけれど、振り解く理由はもうどこにもないのだ。

「短いと冬寒いからマフラー忘れたらまじ凍るかんな」
「あはは。肝に銘じておく」

(21.01.17 / 60万打企画リクエスト)