東北地方の梅雨明け宣言が出た翌日、玄関の向こうに広がる空は雲一つない快晴で眩しさに思わず目を顰めた。

「あ。英くん、おはよ。同じタイミングだね」

 声の主を見る。隣に住む七歳上の幼馴染、名前は柔らかい表情で微笑んだ。何か良いことがあったんだろうか、駆け寄り嬉しそうに口角を上げる様子は俺とは真逆で、日差しみたいに穏やかだ。

「途中まで一緒に行こうよ」
「良いけど。て言うかなに。ご機嫌」
「え、そう?」
「聞いてほしそうな顔してる」
「英くんは私のこと手に取るようにわかるね」
「いいから言いたいならはやく言えば。聞くし」
「じゃあ……」

 と、名前はわざとらしく咳き込んで勿体ぶるように間を開けた。

「なんと……プロポーズされました!」
「……は?」
「これが婚約指輪なんだけどね」

 はにかむ笑顔と左手の薬指。どこのブランドかなんて知らないけれど大きなダイヤモンドが一粒、その指に寄り添っていた。

「……へぇ」

 石をズドンと落とされた感じ。どんな男にどんな風に告白されて、どれくらい名前が喜んだのかもわからない。だけど気高く光るそれを俺は絶対、どうやったって買えないのだけは容易に想像できる。
 制服を着て学校に行こうとする俺と、スーツを着て会社へ行こうとする名前を見比べれば、嫌ってくらいにその事実を突きつけられる気がして、もう名前の薬指には視線を向けられなかった。

「私もまだ結婚とか実感わかないけど」

 この眩しいくらいの笑顔で笑う年上の幼馴染を心底嫌いになれたら良いのにと、時々、無性に思う。
 何気ない一言に振り回される感情。柔らかい笑顔に動揺する心。名前を呼ばれて苦しくなる事。触れたいと思う醜い願望も、全部、消えてしまえ。そうすればこんな面倒くさい恋心を抱かなくてすむのに。
 そう思ってもう長いこと時間を重ねてしまった。

「でも英くんにはちゃんと言いたくて」

 可愛いと思う。
 瞳も、唇も、鼻も、ピアスが揺れる耳も。風に揺れる髪の毛も。司る全てに対してそう思えた。そんな気持ちを教えてくれたのに、諦め方を教えてはくれない。酷い幼馴染だ。

「何年付き合ってたわけ」

 平然を装う。初恋は実らないって言ったのは一体どこの誰なんだろう。
 今この瞬間一緒にいるのは、隣に並ぶのは俺なのに。なのにこの人の頭の中には俺じゃない男がいる。最悪だ。最低、最悪だ。雲一つない晴天も、梅雨明けの蒸し暑さも。

「えっとね、二年ちょっとかな」

 なんだよ。たったの二年かよ。俺なんて十五年も一緒だぞ。その気持ちは口に出すことはないけれど。 
 ジリジリと日差しがアスファルトを照らしつけ、反射した光。手を伸ばせば抱きしめられるのに、その権利を持つのは俺じゃない。

「あ、そ」

 面倒くさいのは嫌いだし、がむしゃらとか性に合わないし、誰かの為に何かを犠牲にするとか惜しみなく愛を注ぐとか、そういうの向いていないって分かってるけど、それでもこの人の為なら真っ赤なバラの花を一本花屋で買って、ほんの少しだけ歯の浮くような台詞を言ってもいいかなって思える。

「英くんならきっと喜んでくれるなと思って」

 神様もサンタクロースも早々にしてそんなものは存在しないと悟った。そして、きっと奇跡も運命もこの世のどこにも存在しない。七歳の差は幸運を運ばない。ラッキーセブンは嘘つきだ。

「良かったじゃん。小さい頃ずっと王子様来るの夢見てたし」
「さすがにもう王子様なんていないのわかってるよ、ちゃんと」

 俺はなれなかった。王子にも、騎士にも、多分従者にも。これから先、名前の隣にいるのは俺じゃないし、俺の隣にいるのは名前じゃない。それが容易にわかるのに、どうしてこの恋心はこぼれていかないんだろう。

「……幸せ?」
「幸せ!」

 それでもこの先、想ってた事を後悔する日はない。それも簡単にわかるから、やっぱり恋なんて簡単に落ちるもんじゃない。

「結婚式きてね?」
「予定がなかったら」
「じゃあ英くんが予定のない日に結婚式しようかな」
「……名前」
「うん?」

 雲一つない晴天。これからやってくるバカみたいに暑い夏。続くのはこれからも変わらない関係性。バス停まではもう少し。スーツ姿の名前を見つめてずっと長い間思ってきたことを、今日も変わらずに思う。
 ねえ、誰よりも幸せにするから俺を好きになって。
 その言葉を飲み込んで、張り付けた仮面で言う。好きな人の、果てのない幸せを願って。

「結婚、おめでと」

(21.01.24 / 企画サイト『connect』提出)