暑い。その一言に限る。
 外出なんてする気にもなれないし、するつもりもない。食べたいものがあればスマホで注文すれば良い。部屋の中はクーラーで快適だし、21世紀に生まれて良かったなって思うのはこういう時。
 本当は玄関まで行くのも嫌だけど、居間にインターホンの音が響いて重たい腰を上げた。暑い中を歩いてきたのか、額にじんわりと汗を滲ませた名前がそこに立っている。

「いらっしゃい。まだ誰も来てないよ」
「やった〜! 一番乗り! バーベキューのためにお昼減らしたからお腹ペコペコなんだ」

 一番乗りなんてそんな大したことでもないのに、名前はその事実に嬉々として笑った。居間に足を踏み入れて「冷房最高」とこぼすように呟いた名前は、後ろに立っている俺のほうを向いて言う。

「早くみんな来るといいね」

 外の暑さなんてもう完全に忘れましたって言うような、清々しい顔で。


▽  ▲  ▽


 庭でバーベキューの準備をしているクロたちを縁側から遠巻きに見つめる。
 真夏だから太陽が完全に姿を隠しても暑いものは暑くて、出来れば今すぐクーラーの効いた居間に戻りたいのに名前がそれを許してくれなかった。

「研磨、一緒に買い出し行こう〜」
「え、嫌だ」
「仕方ないじゃん。今手が空いてるの私と研磨だけなんだから」

 炭が足りないと言うクロの言葉に買い出しを名乗り出たのは名前だった。俺の隣に座って、俺と同じようにぼんやりとクロたちの作業を見つめていた名前は「じゃあ私、コンビニで買ってくるよ」と言って、俺を見つめる。
 その瞳の色にすぐに嫌な予感がして、俺は視線を背けようとしたけれど名前が言葉を紡ぐほうが早かった。

「それ俺とじゃないとダメ……?」

眉間に皺を寄せて主張したものの、名前のほうも引く様子はない。

「だって研磨暇そうだし。付き合ってよ。あ、じゃんけんして私が勝ったら一緒に行くっていうのはどう?」
「えー……」

 その言葉に忘れかけていた春を思い出す。お花見と称して今日のように皆で集まった日、名前と一緒に買い出しに行った。あれからあっという間に夏はやってきて、名前はこうしてまた買い出しに行こうとしてる。
 あの時も名前には言ったはずなのに。夏の買い出しなんてもっと嫌だって。
 だけど目の前でじゃんけんをする気満々の名前を前に、俺はこれ以上嫌だとは言えなかった。


▽  ▲  ▽


 たった一回の勝負で決着はついて、俺は結局名前と一緒にコンビニへ行くことになった。
 暑いからと髪を後ろで一つに縛る名前の少し後ろを歩く。歩きに合わせて揺れる毛先が猫の尻尾みたいだなと思いながら辿り着いたコンビニは、部屋の中以上に冷房が効いてて、名前の言葉を借りるならまさに「冷房最高」だった。
 買い物かごを持つこともなく、バーべキュー用の炭を手に取ってレジに向かおうとする俺を呼び止めて、名前は言う。

「アイス、どれにする?」
「え?」
「研磨はどのアイスが良いのかなって」
「いや……そうじゃなくて、なんでアイス?」

 さっき虎が買ってきてくれたやつがあるじゃん。名前だって袋いっぱいのアイス見て嬉しそうにしてたし。そう思ったけれど言えなかったのは多分、俺を見つめる名前の表情が楽しそうだったから。

「だって、買い出し特権でしょ?」

 当然のことのように言ったその言葉に、俺は「そっか」と頷いてしまう。

「ハピコ半分こする?」
「別に、良いけど」
「やった」

 大したことじゃないのに、名前はまた幸せそうに笑った。
 会計を済ませて、コンビニを出れば肌にまとわりつくような不快な暑い外気が再び襲ってくる。駐車スペースの前で袋の中からアイスを取り出した名前は、二つにしたアイスの片方を俺に差し出した。

「これでまた共犯者だね」

 その表情に一瞬、それまで感じていた不快な夏の空気を全て忘れてしまった。
 奇妙な感覚を覚えながらも、同じ歩調になるように意識して名前の隣に並び帰路につく。

「虎もたくさんアイス買ってきてたのに」
「そうだけど、買い出し帰りに研磨と食べるアイスが格別っていうか」

 なにそれ。意味わかんない。
 こんなにも夏の夜は暑いのに、アイスを握る手の内側だけがこれでもかというほど冷たい。高校生の頃、夏の部活の帰り道にコンビニでアイスを買って食べたことを今になって思い出す。そういえばあの頃も何度かこうしてこのアイス名前と分けていたっけ。

「冬は鍋かなって思ったけど、秋はなんだろうね? お月見?」
「まだ真夏じゃん」
「でも次が待ち遠しいし」
「次はもう一緒に買い出ししないよ」
「えっ一緒に行こうよ。秋になったら涼しいよ」

 何も言わず名前の持っている、炭しか入っていない軽いコンビニの袋を奪った。かさかさとビニール袋のこすれる音が夏の夜の住宅街に小さく響く。

「あ! もしかして研磨、ハピコじゃなくてコンビニ限定のゴディパが良かった!?」
「そういうことじゃないから」
「そうだよね。やっぱり特権ってなると高級アイスのほうがいいよね……」

 だからそういうことじゃないってば。だけど真剣に考える仕草を見せる名前に言うこともなく、俺はなんとなく、夜の影が落ちる名前の横顔を見つめた。

「買い出しするなら研磨が良かったんだけどなあ……」
「そんなに?」
「だってなんかしっくりくるんだよね。だから秋も一緒に行こうよ」

 名前は見上げて微笑む。街灯の光がその瞳を照らしたけれど、俺だけしか見てないんじゃないかなってくらい名前の視線はまっすぐに俺だけを見ていた。

「……秋になったら考える」

 そして俺はまた一瞬夏の暑さを忘れ、じゃんけんで負けたこと悪くなかったかもしれないと少しだけ思った。でもそれは名前には言わない俺だけの秘密。

(21.06.07 / 80万打企画)