「じゃあなんで告白にOKしたんだよ」
太一はそう言った。名字に告白された次の日だった。別に。気まぐれ。理由なんてない。そんな雰囲気を出して太一の目を誤魔化す。嘘だ。可愛いと思ったからOKした。
一生懸命日誌を埋めようとすることろ。背伸びをして黒板の板書を消すところ。授業中、夢と現実の狭間で船を漕いでいるところ。嬉しそうに俺の名前を呼ぶところ。
告白された時は正直驚いたけれど、妙な感覚が心に芽生えて「よろしく」と言っていた。気が付けば視線の先にいる名字を、俺も多分、好きだった。
「白布くん。太一から聞いたんだけど金曜日、部活休みなんだよね?」
ふと意識を取り戻して声のほうを見る。告白されてから3カ月。名字は今日も、嬉しそうな声色で俺の名前を呼ぶ。
「そうだけど」
「よ、予定ある?」
期待を孕ませて伺う瞳。多分、こういうところ。俺と名字が犬と飼い主っぽいと言われたのは。頬っぺたでもつまんでやりたいなと思いながら、出来るだけ平然と答えた。
「ない」
「え! じゃあ! もしかして!」
「……まあ、行きたいところあるなら付き合うけど」
「やった! ありがとう、白布くん! 大好き!」
なんでそんな簡単に言えるんだよ。なんでそんな簡単に顔に出るんだよ。恥ずかしくないのかよ。躊躇ったりしないのかよ。
名字はいつもその言葉を、俺が言いたくても言えない言葉を、簡単に言ってのける。名字からのアシストがなければきっと俺は今でもその2文字の言葉すら言えなかったんじゃないか。
「じゃあ、どこ行くか考えておくね。楽しみ」
可愛いと思う。俺を見つけて駆け寄ってくる姿も。些細な約束を大切にするところも。気持ちを素直に言葉にするところも。そして、やっぱり嬉しそうに俺の名前を呼ぶところも。
自分の教室に戻る名字の背中を見送って深くため息を吐いた。太一に笑われてもおかしくないくらい、きっと今の俺はダサい。
「なに。金曜日、名前とデート?」
「別にデートって言うほどのもんじゃ……」
「いや、いやいや。デートでしょ」
近くで一部始終を見ていた太一が声をかけてくる。
「牛島さん一辺倒だったお前がちゃんと彼女のこと考える男だったってことに俺はめちゃくちゃ驚いてる」
「うるさい。勝手に見て聞いてんじゃねぇ。そもそもなんでお前は名字から下の名前で呼ばれてんだよ。なんで下の名前で呼んでんだよ」
「たまたま視界に入ったんだって。小学校一緒なんだから仕方ないだろ。そんなことで嫉妬すんなよ」
「……してない。腑に落ちなかっただけだ」
名字は俺の何が良かったんだろうか。ときめく台詞を言うわけでも、出かける時間を頻繁につくってあげられるわけでもないのに。
「名前は賢二郎のどこを好きになったんだろうな」
太一はきっとなんの気無しに言った。だけどそれは、俺の心を揺らすには十分な言葉だった。やっぱり、傍から見てもそう思われるのか。
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そしてやってきた金曜日。人の波に委ねるように教室を出て名字のクラスまで迎えに行く。俺を見つけて花を咲かすような笑みを見せた名字は、まるで子犬のように駆け寄った。
「んで、どこ行きたいか決まった?」
「そのことなんだけど」
聞くと、名字は少し困ったように笑った。どこかで聞こえる別れの挨拶。廊下を歩く音は幾重にも重なって、俺たちの存在は学校と言う箱の中に溶け込む。
「一緒に最寄り駅まで歩けるだけで良いかなって」
「は?」
「あの、だってほら、白布くん、普段部活ないときは勉強に時間つかってるんでしょ? 太一が教えてくれて。なんか連れ回すの悪いなって思えてきて……」
ああ、また太一かよ。
「いいから」
「え」
「いいから、そう言うの。名字の彼氏は俺だから、太一の言ったこといちいち気にしなくていい。勉強は自分でちゃんと時間つくるし、今日は名字と過ごすって決めてる」
驚いて何も言えず瞬きを繰り返す名字を見て「しまった」と思った。やばい、言い方がキツかった。
慌てて和らぐような言葉を探す俺に、だけど名字は嬉しそうに言う。
「私のことちゃんと考えてくれてありがとう、白布くん」
「……別に」
「あ、わかった!」
「なにが」
「一緒に勉強すればいいんだ。そしたら一緒にいられるし、白布くんも勉強出来るし」
名案だとばかりの得意気な顔。
簡単には好きだと言えない。出来るだけ顔に出したくないし恥ずかしいと思うけど、優しくしたいし喜んでもらいたい。
「名字」
「うん?」
「……俺も結構、まあ、なんつーか、楽しみにしてたから……今日、よろしく」
せめて名前で呼び合うところから始められるように頑張ろう。俺がそんなことを考えているなんて夢にも思わないないだろう。
視線の先にいる笑顔の名字を、俺はやっぱり好きだと思った。
(21.08.11)