しんしんと降る雪がアスファルトを白く色付けていた。絶対に滑って転びたくないから細心の注意を払って帰路を歩く。ぐるぐるに巻いたマフラーに顔を埋めて、ポケットに手を入れて。
 やっぱり冬は寒くて嫌だと思ったのは今年になって何度目だろう。一層冷え込んだ空気に今日もまた同じことを思って家に着く。コートを脱ぎ、居間のこたつに足を入れるとスマホが鳴る。表示された名前を確認して通話ボタンを押した。

『なに?』
『よかった、出てくれて。ねぇ、研磨今日ひま? 今から行っても良い?』

 名前の楽しそうな声がスマホから聞こえてくる。ゲームもしたいし暇ってわけじゃないけど、でも別に今から名前がここへ来ることは嫌じゃない。
 冷えた身体がじんわりと温かさを取り戻すのを感じながら俺は答えた。

『いいけど、なんかあった?』
『美味しいお酒もらった! 一緒に飲もうよ』

 他に誰か誘ったほうがいいんだろうか。一瞬、虎や福永の顔が脳裏に浮かぶ。
 でもクロが一番都合がつきやすいかなと通話をしたままスマホの画面を操作したけれど、止めた。

『じゃあ、待ってる』
『うん。すぐ行くね』

 まあ、それは、名前が来てからでも遅くはないかと思ったから。


▽  ▲  ▽


 それから30分もしないうちに名前はやってきて、お酒の入った紙袋を俺に手渡すといそいそとこたつの中へ足を入れた。

「あ〜こたつ最高。予報されてたから寒いんだろうなって思ってたけど想像以上に寒くて驚いちゃった。しかも私、途中で転びそうになったし」

 外の寒さは知っていたけれど、名前の赤らんだ頬と耳が外気の冷たさを物語っていた。転びそうになる名前も想像出来る。

「私もこたつ買いたいけど研磨の家のこたつが好きなんだよね」
「名前、もしかしてこたつに入りたくて俺に連絡した?」
「……ん〜?」

 曖昧に返事をして視線をそらす名前。まあ、連絡もらった時点でもしかしたらとは思っていたけど。向かい合わせになって、名前から受け取った紙袋の中身を確認する。

「……アイスワイン?」
「うん。リカーショップ経営してる知り合いからもらったんだ」
「へぇ」

 細長いワインボトル。洗練されたラベルをまとって、ボトルの中では黄金色の液体がたぷたぷと揺らぐ。ワインは仕事上の付き合いで飲むくらいだけど、安物じゃないことはなんとなくわかる。

「一緒に飲むなら研磨かなあって思って」

 名前の言葉に他意はないことは理解している。でも、ただ自然に、躊躇いもなく紡がれた自分の名前がなんだか不思議な感じもした。
 だから、何かをかき消すようにワイングラスを2つ持ってきた。俺と名前の2人だけだし、マナーなんて無視してグラスに注ぐ。名前が持ってきたチーズの詰め合わせも陶器の皿に移さないまま。

「じゃあ、乾杯!」
「乾杯」

 アイスワインの甘い味が喉を通って、別に俺は特別お酒に弱いわけじゃないのに、今夜だけはとろりと意識を持っていかれそうな気さえしてしまった。それくらい、甘かった。
 一気に半分ほどワインを飲んだ名前が言う。

「なんかワイン飲んでるのにオシャレなのかそうじゃないのかわかんないね」
「おしゃれではないでしょ。チーズだってパックのお皿だし」
「そっか。オシャレじゃないか〜」

 向かい合ってこたつに入って、アイスワインを飲んでチーズを咀嚼する。全然おしゃれじゃない。って言うかおしゃれじゃなくていいし。だけど名前は満足そうだし、だからやっぱり俺は、これくらいが丁度良いんじゃないかって思う。
 クロや虎や福永や、誰かを呼ぶとするのならば、今ならまだ間に合う。そう思うけれど、俺の手がスマホに触れることはなかった。名前と2人きりで会うのはそんな頻繁にあることじゃないけれど、でもやっぱり、嫌じゃない。嫌じゃないから、多分、俺は今日、他の誰かに連絡を取ることはないんだと思う。

「ねぇ、おでん食べたくない?」
「え。急すぎない?」
「急に食べたくなったんだもん。コンビニのおでん買いに行こうよ」
「えー……」

 俺は渋る声をあげたけれど名前はもうコンビニへ行く気満々だった。ワインを一杯飲み干したからなのか、既にコートへ腕を通そうとしてる。

「研磨が出たくないなら私1人で買ってくるよ。買ってきてほしいおでんの具ある?」
「……いいよ、俺も一緒に行くし」
「いいの?」
「よくないけど1人で行かせるほうがよくない」
「研磨もなんだかんだ私に過保護だよね」

 嬉しそうに言う名前の言葉に返事はせず、再びコートを羽織る。外が寒いことは知っている。アスファルトに雪が降り積もっていることも。好んで出たいなんて思わないけど、名前を1人で行かせて俺だけここで待っているというのも全然しっくりこない。
 玄関のドアを開け目に入るのは、相変わらず雪が降り続けるどっぷりと暗くなった空。冬の冷たい空気が鋭利に吹きつける。

「寒い……」
「私もうこたつの中に戻りたい」

 だけど、そう言った名前は少しだけ楽しそうだ。
 足跡を残しながら肩を並べ夜道を歩く。
 コンビニまであと少しのところで名前が俺の名前を呼んだ。

「ねぇ、研磨」
「なに」
「さっき、研磨が言った言葉あるでしょ」
「どれ」
「私がこたつに入りたくて研磨に連絡したんじゃないかって」
「ああ、うん」
「こたつに入りたかったのもあるけど、でも、研磨に会いたいなって思ったから連絡したんだよ。そっちが1番の理由」

 コンビニの明かりが名前の顔を照らす。はにかみながら笑った顔の赤さは、多分、きっと、絶対、寒いから。

「……なにそれ」

 顔を埋めたマフラーの中で呟いた。俺の顔も多分、きっと、絶対、寒さで赤くなってる。

 雪は止む様子を見せない。しんしんと、しんしんと。明け方にかけて降り続けると言っていたから雪は数センチ程積もるのだろう。
 明日の朝、俺の隣に名前はいないけれど、踏みしめた雪にうっすらと残る二人分の足跡が確かに存在した今日の夜を証明するんだと思う。

(22.03.10)