及川へ

アルゼンチンに行ってもバレー頑張ってね。トス上げてる時の及川、かっこよくて結構好きだったよ。一緒に行った遊園地、一生忘れない。ありがと。



 まっピンクのペンで書いた手紙を及川の机に忍ばせた。文明の利器が発達した時代のレトロな行動に、我ながら笑ってしまいそうになる。
 澄んだ夜の空。一人ぼっちの寒い教室。宮城の3月はそれでもまだ色濃く冬を残している。卒業式を明日に控え、教室に存在する生徒は私一人だった。大多数の生徒は受験も終わり、学校に残る三年生は少ない。私だって大学受験の合否の結果を先生に報告するという理由がなければ今日も部屋でひとり過ごしていた。
 職員室を後にし、気まぐれに入った教室。もう用事は済んだというのに、何故か急に寂しくなってしまって私はそこからしばらく動けなかった。まるで私一人が取り残されたみたいだなと思いながら、及川の机がすぐ隣にあることに気付いた。春が来たら別の人が使う机。もう、及川は使わない机。
 手紙を書こうと思ったのはその時だった。鞄に手を突っ込んで、ルーズリーフとペンを取り出して、強引にペン先を走らせた。蛍光色のピンクが光るみたいにルーズリーフの上で踊る。これまでの三年間が一気に頭の中を駆け巡ってポップコーンみたいに膨らんだ。たくさんの思いがあるはずなのに、文字にできたのはたったの3行。
 及川はいつこの手紙に気が付くだろうか。気付いて、読んで、笑ってくれるだろうか。だけど同時に、この手紙の存在に気が付かずにいてくれれば、とも思ってしまう。

「あれ、名字じゃん。なにやってんの?」

 その声に、意識が弾ける。ハッとして声のするほうを向くと、教室の入り口に及川が立っていた。想像していた存在が、実在となって目の前に現れるなんて想定していなかった私は焦りを隠すように取り繕った。

「な、なんで及川がここに?」
「俺はバレー部の監督に用事があって……っていうかそれ俺の机」
「あ、いや、これは」
「なに? プレゼントでも入れてくれた?」

 及川の軽い冗談を言うような言い方に合わせようとも思ったけれど、三年間の想いがそれを良しとしなかった。

「手紙を……」
「手紙?」
「手紙を入れてみた……。急に書きたくなって。ペンとルーズリーフがあったから」
「俺に?」
「まあ、一応」

 握りこぶしをつくって爪が食い込むくらい強く握る。私の下手な言い訳は、だけど、及川には通じたらしい。それ以上を言及されることも無く及川は「じゃ、読んでもいい?」と言った。心拍数が一気に上昇して、さっきまで感じていた寒さすらも忘れてしまう。
 及川の長い指先が机の中に入れたルーズリーフに触れて、私の心臓も鷲掴みにされたような気分だった。

「うわ、めっちゃ蛍光ピンク」
「それしかなかったの」
「まあ嬉しいけど」
「激励の手紙ね。ラブレターじゃなくてごめんだけど」

 文字を追う瞳。その横顔をじっと見る。多分、あまりにも美しかったから苦しくなって泣きたくなったんだと思う。
 同じ学校に通えない事が、おはようって言えなくなることがこんなにも辛いなんて知らなかった。明日で最後。同じ制服を着ることも、同じ教室で息をすることも。

「ラブレター並みに気持ちこもってる感じするけど」

 及川が言う。柔らかくて優しい表情で。
 いつか、その色は褪せて消えてしまうだろう。今この瞬間、少しでも何かが伝わっていたのならそれは私にとって高校最後の幸せだ。遠く離れた国へ行くという及川に何かを残せていたのならそれだけで十分だ。

「そこはラブレター以上って言ってもらわなくちゃ」

 おどけたように笑って言う。
 思いの丈を全て晒すことは出来なかったけど、私もちゃんと次へ進むから。
 だから笑ってよ。なにこれって。冗談みたくさ。まっピンクのペンで書いた文字は、それくらいがちょうど良いんだから。

(22.10.01)