※SSS


 舞うように落ちてきた桜の花びらが私にキスをした。
 薄く頼りない柔らかさに一瞬、息を忘れる。隣を歩く治が「あ」と声をあげたのは同時だった。

「桜散る前に花見せんと」
「急だね」
「忙しくて忘れとったけど今年はまだ花見しとらんかったやろ」

 その言葉にここ数日間の日々を思い返す。仕事に忙殺されて今日だって会えるのは久しぶりだし、あまりの忙しさにお花見のことなんてすっかり頭から抜け落ちていた。

「じゃあ、夜は桜見に行く?」
「ええな」

 治は柔らかく笑う。
 背中を押すような強い風が吹けば、花時を過ぎた桜の花びらは簡単に舞った。
 週末は雨が降ると天気予報は示しているし、私たちに残された時間は案外少ないのかもしれない。

「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」
「なんなん」
「春は本来のどかな季節なのに、桜が咲くのを待ったり、散るのが気になったり、桜があるために心は穏やかじゃなくなるよねって意味の歌。まるで今の私達だねって思って」

 両手に抱えていたスーパーの袋を片手に持ち直して、治は私の右手を握った。36度の体温がゆっくりと伝う。

「屋台まだ出てるかな?」
「花より団子やん」
「とか言って治もいっぱい食べるじゃん」
「……外で食べるんは格別なんや」

 はらり。
 また一枚、春が散る。
 それはゆっくりと舞うように落ちて、今度は治にキスをした。