じれったい嫉妬


 蛍の家に遊びに行くのは久しぶりだ。もしかすると付き合い始めてからは初めてかもしれない。小学校からずっと一緒で、私たちはこのままずっと友達のままなのかもしれないと思っていた矢先に変わった関係性。
 昔からお互いを知っているから必要以上に緊張することもなく、キスすらまだしたこともないけれど、それでも一応、蛍は私の彼氏で、私は蛍の彼女ということになっている。

「蛍の家にお邪魔するの久しぶりじゃない?」
「そうだっけ」
「そうだよ」

 テスト期間で部活がないからと、蛍の家で勉強を教えてもらう約束を取り付けたのは昨日の事。
 まがりなりにも彼氏の家に遊びに行くんだから本当はもっとドキドキしたり緊張したりするべきなんだろうけど、もう何回も蛍の家には遊びに行っているし、おばさんとおじさんも昔から良くしてくれているし、明光くんだって私のことを妹のように可愛がってくれているから今更どこに緊張したらよいのかわからないというのが本音だ。

「……あのさ」

 家のドアノブに指を触れた瞬間、どこか歯切れが悪そうに蛍が口を開く。

「このタイミングで言うべきじゃないんだけど、今日、家に誰も――」
「蛍と名前?」

 背後から私たちの名前を呼ぶ声。蛍の言葉を遮ったのは明光くんだった。

「明光くん! 久しぶりだね。今日、仕事休みなの?」
「実家に置いてた荷物取りに来たんだけど2人は?」
「蛍が一緒に勉強してくれるっていうから遊びにきたんだ」
「忠は一緒じゃないんだな」

 ここで忠の名前を出すってことは、もしかすると明光くんは私たちが付き合いだしたことを知らないのかもしれない。まあ正直、蛍がそういう話を家族間でするとは思えないから明光くんが知らないのも納得だけど。
 私たち付き合うことになったんだよ、と言うのは簡単だけど蛍がそれを望んでいるかどうかが分からなくて結局「うん」とだけ答えた。

「でも明光くんいると思わなかったから会えて嬉しい。用事終わったらすぐ自分の家戻っちゃうの?」
「いや、今日はこっち泊まる予定」
「じゃあ後でゆっくり話しできるね」
「……ちょっと。家、入るの入んないの」
「あ、ごめん!」

 玄関のドアを開けた蛍が私と明光くんに向かって促す。言葉には心なしか棘を感じるけれどそそくさと蛍の後に続いて家の中に入って、昔からそうしてきたように蛍の部屋へ続く階段をのぼった。

「明光くん、大人になったね」
「大人なんだから当たり前でしょ」
「お兄ちゃんみたいな人から大人の男の人になったって意味。ほら、私、明光くんのこと好きだったからなんか感慨深いなって」
「小学生の頃の話してどうすんの」
「まあそうなんだけど」

 それでも一応、私の淡い初恋な訳で。まあでもそんなこと蛍は興味無いよねと思いながら大人しく床に敷かれたラグの上に座わり部屋を見渡した。
 壁に掛けられたユニフォーム。机に置かれたバレーボール。蛍の部屋は落ち着くから好き。勉強道具とバレー用具に囲まれながら、もしも明光くんがバレーをやっていなかったら蛍もバレーはしていなかったのかな、なんてことを不意に考えた。

「明光くんってなんでバレー選んだんだろう」
「知らない」
「兄弟なのにそういう話しないの?」
「兄弟だからってなんでも話すわけじゃないでしょ」
「明光くんは蛍となんでも話したそうだけど」

 私はバレーをしている蛍が結構好きだから、明光くんが他の競技じゃなくてバレーをしていて良かったなって思う。
 
「なんにせよ明光くんがバレーやっててくれて良かった」
「……あのさ」

 痺れを切らした様に、だけど細い声で蛍は先程と同じ言葉を紡いだ。
 そういえば先程も蛍は私になにかを言おうとしていたんだった。ふたりきりの部屋で、今度こそ蛍の言葉の続きを遮るものはない。

「ねぇ明光くんに声かけられたから忘れてたけど、さっきも何か――」
「兄貴の話するの、もうやめて」
「え?」

 言ったあと、決まりが悪そうに蛍は視線を逸らす。そしてほんの少しの沈黙の後、蛍がゆっくりと口を開いた。

「……名前の彼氏は僕なんじゃないの」

 すぐには言葉の意味を理解できなかった。けれど蛍の様子とこれまでの会話の流れから察する。
 あ、そっか。そういうことか。確かに私はずっと明光くんのことばっかり話題にしていた。
 瞬間、胸に広がったのは言葉には出来ない感覚。

「うん、ごめん」
「……謝る人の顔じゃないけど」
「えへへ。だって」
「だってじゃないから」

 友達の延長みたいな感覚で付き合っていたけれど私は蛍の彼女で、蛍は私の彼氏なのだ。キスをした事がなくたって、必要以上に緊張しなくたって。

「私、蛍が1番好きだよ。さっきのは、バレーしてる時の蛍ってすっごくかっこいいから明光くんがバレーやってて良かったなって思っただけ」
「……あっそ」

 蛍が好きだと、改めて思う。初恋なんか霞むくらいに。

「ね、後で明光くんに私たちが付き合ったこと話してもいい?」
「……好きにしたら」

 明光くんの驚く顔を想像してみる。ちょっと居心地が悪そうにする蛍の様子も。
 帰り際、私からキスしてもいいかなぁと悩みながら教科書を開く。昔からよく知る、とても落ち着く彼氏の部屋で。

(23.12.01)