及川とマネージャーの両片思い


 あ。ジャージの上、忘れた。
 気付いたのは部活が始まってから。だから今更家に戻って取ってくるというわけにはいかなかった。冬が終わったとは言え宮城の春はまだまだ寒い。仕方なくTシャツで体育館へ向かったものの、1人だけ薄着という状況はなんとなく肩身が狭かった。

「名字、寒くねぇのか?」

 そういうこともあって、部員が揃うまでは体育館の端でひっそりと作業をしていると後ろから岩泉に声をかけられる。
 岩泉がいるということは及川もいるのかなとこそっと周りを見てみたけれど、どうやら及川は1年生達と話しをしているようで私の存在には気づいてないようだった。
 
「上着だけ家に忘れたんだ。寒いけどそのうち温かくなるかなって」
「いや、俺らは動くからすぐに暑くなるけど名字はそうじゃないだろ」
「それはそうかもだけど」
「俺の貸すか?」
「え、でも」
「いいから着とけ。風邪ひいたら困んだろ」

 そう言って岩泉が上着を脱ごうとした時だった。及川が慌てた様子で私達の間に入り込んできたのは。

「ちょっとちょっと岩ちゃん! なに男前な事してんの!」

 1年生との会話終わったんだとか、私と岩泉が話してたこと認識してたんだとか、色々と思うことはあったけれどなんの前触れもない登場に驚く。
 思わず後退りし、足元がおぼつかなくなった私を支えてくれたのは岩泉だった。そっと腰に回された腕はなんの嫌味もなくスマートである。岩泉よ、本当に男前だ。もし私が岩泉のことを好きだったらヤバかったかもしれない。いやそれどころか私が及川の事を好きじゃなかったらこの瞬間岩泉に恋に落ちていたかもしれない。

「オイ危ねぇだろ。お前ゴリラなんだから勢い考えろよ」
「酷いな!」
「あ、はは……」
「ごめん、名前ちゃん。大丈夫だった?」
「うん、大丈夫大丈夫。ちょっとびっくりしただけ。岩泉もありがと」

 でも、私が好きなのは及川なのだ。おちゃらけてても、急に鼻唄を歌いだしても、無駄にかっこつけるところがあっても、ひたむきにバレーと向き合う及川なのだ。
 まあこれは誰にも言えない秘密の恋だけど。

「名前ちゃん、寒いなら及川さんのジャージ貸してあげる。岩ちゃんのジャージより俺のジャージのほうが絶対良い匂いするから、ね?」
「及川テメェ……」
 
 怒れる岩泉を無視して及川は私にジャージを差し出す。
 断る理由もないし、寒いのは山々だし、ここでわざわざ岩泉から借りたいと言う方が角が立つしと、いろんな言い訳めいた事を考えながら受け取る。
 ジャージ忘れてきて良かった、なんてさすがに思っちゃ駄目かな。

「及川ありがと。岩泉も。結局及川から借りちゃったけど声かけてくれて助かった」

 そう言い、受け取ったジャージに腕を通すとそれは当たり前にぶかぶかで、やんわりと及川の使ってる香水の香りが届いた。なんか背徳的だ……と身体の真ん中がもぞもぞする。

「サイズあってねぇな」

 岩泉が言う。

「でも腕まくったら作業出来るし」
「岩ちゃんってばわかってないなぁ。オーバーサイズなのが可愛いんじゃん」

 緩く上がる及川の口角。モテる人はさらっと可愛いとか言えるんだから狡い。及川にとってジャージを貸すなんてそれほど特別な行為ではないだろうに、こんな些細な事でも私は嬉しくなっちゃう。

「あの、すみません。及川さんちょっといいですか」

 そんな中、そっと声をかけてきたのは国見くんだった。なにかあったのか及川に色々と確認している。そのまま2人がこの場を去ろうとしたとき、思い出したように及川が振り向く。

「あ、名前ちゃん。今日の部活終わり遅いから帰り送るね」

 結局及川はそう言い残しこの場を後にした。
 残された余韻と、私と、岩泉。

「家反対方向なのにわざわざ送るとか分かりやす過ぎるな、アイツ」
「え?」
「名字もあんなのに好かれて大変だな。嫌なことされたら呼べよ。ぶん殴ってやるから」
 
 岩泉はそう言うと私の肩を一度だけ優しく叩きコートの方へと踵を返した。岩泉の言葉が頭の中をぐるぐる回って、淡い期待が顔を出す。そっと及川へ向ける目線。
 いや、まさか、そんな。
 羽織った及川のジャージからはクラクラするほど甘い香りがした。

(23.06.01)