元カレ佐久早と再会
こんなところで再び相まみえることになるなんて誰が想像しただろうか。
目の前に立ったスーツ姿の男は数年前よりもずっと精悍な面持ちで、だけど少し短くなった髪の毛と変わらない目元が私の心をあの頃へと瞬時に引き戻した。忙しさと共に奥底に追いやられた輝かんばかりの記憶がゆっくりと姿を現す。
「佐久早さんは午後は練習やから就業時間ほとんどないけれど東京出身同士やし、うまくやってくださいね」
「は、はぁい……」
短大を卒業した私の就職先であるMSBYブラックジャッカルは「個の努力で人を結ぶ」を基本理念とし、Vリーグディビジョン1に属するバレーボールチームを持つ日本の自動車部品メーカーだ。大阪の市内に本社を構えているから東京で生まれ育った私がここで知人に会うなんて絶対にないと思っていた。
思っていたのに、再び出会ってしまった。
現役バレーボール選手であり、私の高校時代の元カレでもある佐久早聖臣に。
「じゃあ後は名字さんに任せますね。佐久早さんの指導、お願いします」
「わ、わかりました」
就職から三年目。新しく配属された社員の指導係として任命された時はいよいよ私もそんな立場になったんだなとやる気に満ち溢れたのに、いざ蓋を開けてみたら目の前には高校時代、一方的に私から別れを告げた相手が立っていた。
私と聖臣を残して会議室から出ていく課長の背中を見つめる。残された部屋に漂うのは空調機の静かな音。仕事中なんだから私情は挟まないようにしないと思うのに聖臣の顔を真っすぐに見つめることが出来ない。どうしよう。困った。気まずい。でもちゃんとしないと。時間だけが過ぎてゆく中、沈黙を破ったのは聖臣だった。
「ここに就職したなんて知らなかった」
「……短大がこっちだったから。大阪の雰囲気も好きだし、そのまま就職したって感じで。私も聖……佐久早くんがこの会社のバレーボールのチームに所属したなんて知らなかったから驚いた」
過去の事をどれだけ口にしてよいのか。何事もなかったように振る舞うのが大人としてのマナーなのか。
意外と普通に会話出来ていることに対して不思議な感覚を覚えながらも、聖臣と付き合っていた半年間がより鮮明に記憶の扉を刺激する。初々しくみずみずしい恋。それが故に続かない関係だったけれど、あの時間は私の青春を色濃く縁取った。
「と、とりあえずこれからは同僚としてよろしく。一応私が佐久早くんの先輩になるけど敬語とか気にしなくていいし、気楽に接してくれればいいから。わかんないことあったら何でも聞いてね」
でもそれは過去のこと。聖臣はもう私のことなんてなんとも思っていない。時々思い出しては後悔するのは私だけ。だから私は同僚としてこれから先この人と関わっていかなければならない。
「名前」
「……周りの目もあるし会社では上の名前で呼んでください、佐久早くん」
「……名字」
どこか不服そうに聖臣は私の名字を口にした。
「なに?」
「なんであの時別れようって言った?」
「え」
「ずっと知りたかったから教えてほしい」
言葉に困る。何でも聞いてって言ったのは私だけど、今それを聞くのは如何なものだろう。そもそもなんで今更そんなこと。だけど見つめられる視線に耐えかねて私は口を開いてしまった。言って、洗いざらい吐いて納得してもらえるならば、と。
「……佐久早くんは、周りからたくさん注目されてて、期待もされてて、そういう人の彼女であることが私には重荷だった」
「重荷? そんな理由で俺は振られたのかよ」
「当時の私にとっては重要な事だったの。まだ若かったし。それに……佐久早くんが何考えてるか全然わかんなかったし。でも告白されたのはすごく嬉しかったよ。嬉しかったから、釣り合う自分になりたくて、なれないもどかしさに耐えられなかった」
それはとても、とても幼い恋だった。淡くて、危なかっしくて、たどたどしい恋だった。だからしまい込みたい。後悔も自責も奥底に。
「仕事中だし、昔の話はこれくらいにしよ」
「名前」
仕事中は下の名前で呼んだらダメだって。言う前に聖臣が私の腕を掴んだ。その手のひらには逃さないって意思が込められていて、私もまたその瞳を逸らすことが出来なかった。
何、この状況。会議室、誰か使う予定あったっけ。誰も来ませんように。見つかりませんように。焦る思考の中、そんなことを必死に考える。
「だったら、もう一度付き合いたい」
「え?」
「ずっと名前のこと考えてた」
突如言われた言葉に目を見張る。聞き間違いかとすら思ったけれど、聖臣の瞳がそれを否定していた。
「こ、ここ会社! それに私達再会したばかり! て言いうかずっと私の事好きだったみたいな言い方……!」
「だからなに。みたいじゃなくてそうなんだよ。理由聞いたらますます納得できなくなった。好きなもんは好きなんだから仕方ないだろ」
どうしよう。困った。気まずい。でもちゃんとしないと。空調機の音。見つめ合う私達。奥底にしまいこんでは時折顔を出す記憶が私の心に寄り添う。
沈黙を破るのは、私の番。
「……とりあえず仕事中は下の名前で呼ぶの禁止で。あと今日の夜空いてるなら、一緒にご飯……とか、どうです、か」
辛うじて紡いだ言葉に、聖臣が薄く笑ったような気がした。
(22.11.28)