一緒に暮してる佐久早と何気ない日常


 午後からぽつりぽつりと降り出した雨は次第に雨脚が強くなり、定時を過ぎて会社を出る頃には本降りの雨となった。
 会社から駅までは歩いて5分程。今朝は晴れていて傘を持ってくるのを忘れたけれど、こんな時の為にいつも鞄には折りたたみ傘を忍ばせてある。今日は聖臣くんも早く帰ってくると言っていたし、私も寄り道しないでまっすぐ帰ろうと鞄の中に手を入れる。
 ファイルをかき分け、財布やポーチをかき分け、奥底に沈んでしまったかもしれない折りたたみ傘を取り出そうとしたけれど鞄の中のどこにもその姿は見当たらない。
 そういえば先週の休み、外出する時に使ってそのままベランダで乾かしていたんだったと思い出す。すっかり失念していた。
 タクシーに乗るにも、走って駅へ行くにも微妙な距離。かと言ってこのまま雨宿りしても雨はやまないとアプリの雨雲レーダーが教えてくれている。どうしようかと悩んでいたら雨音に混じって私の名前が届いた。

「名前ちゃん」
「え、聖臣くん? なんで!?」

 立っていたのは聖臣くんだった。透明のビニール傘から見える顔が少し不機嫌そうにしているのはこの天候のせいだろうか。驚く私の隣に立った聖臣くんはさしていた傘をたたみ、右手に持っていた私用の傘を差し出した。

「傘忘れてるから迎えに行くって連絡したんだけと返信ないからとりあえず来た」

 慌ててスマホを確認する。そこには1時間ほど前に届いた聖臣くんからのメッセージが並んでいた。

「ごめん見てなかった。でも助かったよ、ありがと。てっきり家でお昼寝でもしてるかなって思ってたからちょっとびっくりだけど」
「今朝家出るとき傘持ってなかったし、ベランダに折りたたみ傘あったから」
「私より私の事把握してるね」
「別に……これくらい普通だろ」

 まんざらでもない様子の聖臣くんが可愛い。
 
「聖臣くんいるから寄り道しないで家帰ろうと思ったけど、来てくれたなら一緒に寄り道出来るね」
「こんな雨の日にどこに寄り道すんだよ」
「んー……あ、じゃあ夜ご飯は外食にするっていうのはどう? ちょうどお好み焼き食べたいって思ってたんだ」

 いいでしょ? と、期待を込めて見つめると仕方ないといった様子で聖臣くんは頷いた。

「昨日テレビでお好み焼き特集見てたもんな」
「バレてた……!」
「雨だしこの時間だから駅ビルの中にある店は混んでるだろうけど」
「聖臣くん待つの嫌じゃない?」
「名前ちゃん食べたいんだろ?」
「うん」
「じゃあ待つ」

 でた。聖臣くんの私に甘いところ。ニヤニヤしてしまうのを抑えながら駅に向かう為、傘を広げる。
 ようやく踏み出した灰色の空。振り続ける雨が絶え間なく傘にあたって音を立て、地面に落ちた雨粒は跳ね返って足元を濡らす。
 聖臣くん、と呼んでみたけれど雨音にかき消されて声は届かなかった。雨は良い事と悪い事が半分半分って感じた。

 黙々と歩いて駅ビルに着くと聖臣くんはやっぱり鬱陶しそうに傘をたたんだ。そっと聖臣くんの足元へ視線を向けるとズボンの裾が色を変えている。
 足元が濡れるのって好きな人はいないと思うけど、聖臣くんは特にそれを嫌がりそうなのに、こうなるとわかっててここまで来てくれた。それにお好み焼き食べたいって言う私になんだかんだ付き合ってくれる。しかも混んでる時間帯に一緒に並んでくれるし。私は聖臣くんのこういう優しいところが好き。

「聖臣くん」
「なに?」
「さっき、傘差しながら呼んだんだけど声が届かなかったから改めて呼んでみた」
「それで、用件は?」
「ないよ。呼んだだけ。さっきは聞こえるかなって思って呼んでみて、今は聞こえるだろうなって思って呼んだ」
「……意味がわからない」
「あはは」

 明日は休みだから、お好み焼きを食べて家に帰ってお風呂に入ったら聖臣くんをゲームに誘おう。疲れたらサブスクの動画を見てゴロゴロするのも良いかもしれない。

「聖臣くん」
「今度はなんだよ」
「今度はお礼言いたくて」
「お礼?」
「迎えに来てくれて本当にありがとーって」
「……だからこんなのは別に普通の事だろ」

 昨日が今日に繋がって、今日が明日に繋がって、特別な事が溢れる毎日じゃなくても良いから聖臣くんとは幸せいっぱいの時間が続いてほしいなと願う。
 雨はやっぱり悪い事よりも良い事のほうが多いかもしれないと思ったけれど、それはきっと、私の隣に聖臣くんが居てくれるからこそなんだろう。

(23.06.02)