古森の恋の話
「綺麗じゃなくても君がいい」スピンオフ


「名字?」

 休日、駅前にある大型書店で参考書を吟味している際に呼ばれた自分の名前。驚いて顔を上げると視線の先にいたのは古森だった。
 昔馴染みと言えるほどでもないけれど、中学から一緒だからそれなりにお互いの事を知っている相手。

「偶然だね。部活帰り?」
「そうそう。名字は?」

 部活のジャージを着ていたから聞かずともそうなんだろうなとは思ったものの口をつくように聞いてしまった。
 私のほうへ歩みを進めた古森は悪意なんてひとつもないんじゃないかっていうような爽やかさで隣に立つ。中学の時から背が高かったけれど、高校生になった今、見上げる距離は少し遠い。

「参考書買いに来た。て言うか一人なの珍しいね。佐久早は?」
「佐久早はほら、彼女出来たからさ」
「あー……そう言えばそうだったね」

 古森の返事に先日クラスの女の子から聞いた話を思い出す。
 ――佐久早くん、彼女できたらしいよ。
 その事実を聞いた時は、あの佐久早に? と衝撃が走ったけれど、実際彼女と並んでいる姿を見たら納得と言うか、腑に落ちる感じはあった。ああ、好き同士なんだなって。まあ普段はとげとげしい佐久早が彼女の前では柔らかい雰囲気を出している事にはやっぱり驚きを隠せないけど。
 佐久早の彼女とはクラスが一緒になったことはないし、どういう子なのかはあまり知らない。ただ、古森とよく話しているのを見かけることもあるし、従兄弟と仲良しの女子が付き合っているという現状は古森にとってどんな感じなんだろうなとは思う。余計なお世話だってかわってるけど、万が一古森がその子のこと好きだったらなかなかエグい状況なんじゃないだろうかって。

「えっと……大丈夫?」
「大丈夫って?」
「従兄弟と仲良しの子が付き合っちゃって、その、なんて言うか、古森、寂しくないかなって」

 だめだ。もっとうまい聞き方があるはずなのに口から出たのは配慮の欠片もない直接的な言葉だった。
 でも、しどろもどろに言う私を見て古森は軽い調子で笑ったから胸を撫で下ろす。よかった。嫌な気分にさせちゃったわけじゃないみたい。

「まあひとり寂しく帰る事は増えたけど」

 そう言うものの、寂しいとは遠い場所にあるような印象を抱いだくのは古森があっけらかんとした様子だからだろうか。

「そう言う名字も今日はひとりで買い物?」
「う、うん」

 参考書の並ぶ棚を見つめながら古森は「勉強熱心だなー」と独り言のように呟く。
 そっと見上げる横顔。身長はどんどん離れていくけど人当たりの良い雰囲気は全然変わらない。こんな風に話していても、もしいつか古森がプロの選手になったとしたら私はただの同級生でしかないんだよなぁと思うとちょっとだけ寂しい気がした。

「私は部活も入ってないし、時間ある分勉強しないといけないからさ」
「けど毎回学年で上位になるのは努力してる証じゃん?」

 成績上位の人は掲示板に名前の貼り出しがある。ただ、毎回私が上位に入れている状況を古森が知っているとは思わなかった。昔から古森は面倒見が良いし、周りをよく見ている人だから納得と言えば納得だけど。
 確か、バレー部の横断幕も『努力』なんじゃなかったっけ。スポーツをやっている高校生が全国にたくさんいる中で、雑誌に取り上げられる事もある古森のほうが私よりもずっと努力家だと思う。

「古森もインハイ予選までもう少しだよね。頑張ってね」
「名字、応援に来てくれる?」

 言いながら、古森は私を見る。
 口元は弧を描いていて言葉の真意が汲み取れない。

「そりゃあ、全国出場ってなったら応援行くってなるんじゃない? だってうちのクラスには佐久早がいるし、みんなで行こーってなると思う。古森のクラスの人たちもそうでしょ?」
「そうじゃなくて」

 古森はそこで一度言葉を区切った。一瞬の間を開けて、もう一度口を開く。

「そうじゃなくて、名字に俺のこと応援してもらいたいって話なんだけど」

 表情は相変わらず穏やかなのに、ともすれば誤解を生みかねない台詞に私の心臓は一瞬大きく揺れる。淡く色付くような空気につい視線を逸らす。

「ど、どういう意味……」
「どういう意味だと思う?」
「わかんないよ、そんなの」

 まるで古森が私に気があるみたいな言い方。
 古森とは中学から一緒だけど、だからってめちゃくちゃ仲が良いわけじゃない。それに古森からそれっぽい雰囲気なんて出されたこともない。
 参考書ならページをめくれば答え合わせが出来るのに、今、ここにはめくるページもない。

「じゃあ考えて」
「え?」

 再度、古森を見る。気のせいかな。見つめた先にいる古森の耳がちょっとだけ赤い気がする。心臓がくすぐったくて、どうしていいかわかんない。

「俺の言葉の意味、考えてみてほしい。名字の都合よく解釈してくれて良いから」

 なにそれ。都合よくってそんなの逆にどんな問題よりも難題だよ。でも答えは古森の中にしかなくて、解答者は私しかいない事だけは十分に理解できていた。

「で、答えが出たら今度は一緒に帰ってくれると嬉しいかな。そしたら全然寂しくないからさ」

 古森の笑顔を前に、私は小さく頷くのが精一杯だった。いつかやってくるかもしれない古森と二人で帰る未来を想像しながら、とりあえずその答えを導き出す為に思考をフル回転させるしかない。

(23.03.06)