元同級生の影山からアプローチを受ける


 そわそわする。人と待ち合わせをしてこんな気持ちになるのはいつ以来だろう。そろそろ待ち合わせ時間になるし、いつ影山がやってきてもおかしくない。
 谷地ちゃんに誘われて影山の試合を観に行ってから早1か月。それを期に影山と頻繁に連絡をとるようになったけれど2人きりで会うのはこれが初めてだ。別にデートじゃないからこんな気持ちになる必要はないのに、私の意思に反して心が勝手にはやる。

「名字」

 人混みの中、澄んだ声。誰よりも背の高い影山は通行人の目を引いていたけれど深く被る帽子と白いマスクのおかげで彼が日本代表にも選ばれるバレーボール選手だという事は誰も気づいていない。

「あ、えっと、おつかれ」
「悪い、待ったか?」
「や、全然。私も今来たところだから」

 テンプレートみたいな会話をしながらどちらともなく歩き出す。影山に置いて行かれないように意識的に歩幅を大きく歩いてみたものの、結局いつもと同じように歩いていたなと気付いたのは影山が行きたいと言っていたお店に着いた時だった。
 海外を思わせる内装のカフェ。一面ガラス張りの窓からは陽光が惜しみなく降り注いでいて店内を明るく照らしている。外にはテラス席が広がっているけれど、通されたのは奥まった場所にある柔らかなカーテンで仕切られた半個室だった。有名人も大変だなぁと考えたけれど、こんな明るい内にふたりきりなんて大丈夫なんだろうかと今更ながら思ってしまった。対面に座る影山にそっと顔を近づけ、内緒話をするように小声で話しかけた。

「あのさ、影山」
「なんだ」
「今更だけど大丈夫なの?」
「何がだよ」
「なにがって、その、私とふたりで会ってる事。他の人に見られたり……撮られたり? するかもしれないなって。私は一般人だからそういう事情わからないけど」
「別に良い」

 そんな事は意にも介さないとでも言うような態度で言われる。ちょっと拍子抜け。でも影山がそういうのならそうなのかな、と私はそれ以上を言及するとことなくおとなしくメニューを眺める事にした。私たちは友人関係だし、やましい事なんて一ミリもないというのが実際なんだから確かに問題はないのかもしれない。

「決めたか?」
「あ、うん。これにする」

 ランチセットを指差し柔らかいソファの背もたれに体重を預ける。影山が店員さんを呼んで、スマートに注文を済ませてくれるなんて高校生の時からは考えられない。
 ぼんやりと数年前の頃を思い出しながらテーブルに置かれた水の入ったコップを手にとったとき、影山が口を開く。

「それ、いいな」
「え?」
「ピアス。似合ってる」
「あっ……あー、うん。ありが、とう」

 私のピアスに向けられる影山の目線。いや、影山ってそういうの言ってくれるような人だった? て言うか他人――しかも異性の装飾品とかちゃんと見るような人だった?
 思い返してみればここに至るまでの道のりでは車道側を歩いてくれてたし、先日体調を崩していた時には体調を気遣う連絡もしてくれた。
 誰にでも気を使えるくらい大人になった? それとも、私だから?

「正直、影山から会おうって言われた時はびっくりした。卒業してからはそんなに連絡とってなかったし。まあ最近はほとんど毎日連絡とってるけど」
「嫌だったかよ」
「まさか」

 嫌だったらこうしてふたりで会うなんてしない。ただちょっと思うところはある。なんで誘ってくれたの。どうして頻繁に連絡をくれるの、と。
 その疑問を口にする前に運ばれてきた料理が目の前に並んだ。会話が弾んでいるとは言い難いけれど、嫌な雰囲気じゃない。料理を食べながら時折影山を盗み見て、スローなテンポで取り留めのない話題を口にする。疑問は口に出せないまま。
 
「口にソースついてるぞ」
「え、うそ」

 指摘されて慌てて口元を拭った。服にこぼさないだけましなのかもしれないけれどこれはこれで恥ずかしい。

「とれた?」
「とれてねぇ」
「どこらへん?」

 影山の指先が伸びてくる。え、もしかして取ろうとしてくれてる? と私は慌てて身を引く。出入り口の風を受け、隣との席を区切っていたカーテンが優しく揺れる。

「ま、待って! 誰かに見られたら本当に誤解されちゃうから!」
「別に良いって言っただろ」

 いや良くないよ。そう言うべきなのに、影山の放った言葉には言い返す余白がなかった。そのまま伸ばされた手は私の口の端に優しく触れ、皮膚の上を滑らかに滑っていった。口元にソースがついてしまった事と影山にされた行為が私の羞恥心を限界まで高めていく。

「よく、ないでしょ、絶対」

 私を見つめてくる瞳に耐え切れなくて、視線をそらしながら、せめてもの反撃だというようにか細い声で言った。

「名字となら別に良い」
「そ、それ誰にでも言ってるわけじゃないよね?」
「あ? 名字だからだろ」

 躊躇いもなく言っちゃうところは昔から変わらない。だからその言葉が真実だって信じられる。

「ソ、ソウデスカ……」

 私は今どんな顔をしているんだろう。困ったな。料理の味がわからなくなってしまいそう。
 はたして私と影山はこれからどんな風に時間を重ねていくことになるのか。不透明で不明瞭な未来を出来るだけ優しく想像しながら、決して居心地の悪くない空気感に抱かれるのだった。

(23.05.27)