浅草の正月騒動
異界化を四度経験した後、正月がやってきた。真神は普段、正月に特別な興味を持たず、作曲や映画鑑賞をして過ごすことが多い。年が明けたことにさえ気づかないこともあるほどだった。人混みを極端に嫌うため、初詣も一月半ばまで延期するのが常である。
だが、転光生が存在する新年には少し心惹かれるものがあった。仏教への愛着から、今回はお参りに出かけてみようと思い立つ。西遊記が大好きな真神は、猪八戒の疑いがある豚獣人・ゴウリョウがいる浅草の摩利支天徳大寺を目指し、新宿学園の学生寮を出発した。
ところが校門を出ると、見慣れたリムジンが待ち構えていた。東京カジノの車である。真神はかつてここでピアニストやドラマー、ヴァイオリニストとして働いていた。きっかけは知り合いのバンド「バズドリ」のドラマーの紹介だった。カジノは合法経営で評判も良く、プロとしてのキャリアに傷はつかなかったが、すでにプロデビューを果たした真神は引退していた。
突然の呼び出しに真神は困惑する。休暇中なのに仕事を押しつけられるのでは、と焦ったが、逃げる間もなくボディーガードに連れ込まれてしまう。
カジノに到着すると、オーナーである九尾の狐・ハクメンちゃんが出迎えた。
「あけましておめでとうございますお館様!まあ!お館様ったら、こんなおめでたい日に普段着なんてナンセンス!」
そう言って正月らしい装いをさせようとし、スタイリストに振袖を着せられ、写真撮影をされた。疲れ果てた真神は解放を懇願し、体力のなさを知っているハクメンちゃんは、しぶしぶそれを許した。
リムジンに乗せられて降ろされたのは雷門だった。摩利支天徳大寺へ行くはずが、まるで別の場所である。周囲を見ていなかった真神は愕然とする。正月の雷門――想像を絶する人混みは、真神にとって最悪だった。振袖姿でこの群衆をかき分けて帰らねばならないと思うと、泣きたくなった。
ハクメンちゃんは、真神が時々雷門の横で人間観察をしていたのを知っていたため、今回もそのつもりだと勘違いしたのかもしれない。落胆しながらも真神は重い足取りで雷門へ向かい、途中でフランクフルトを買って横へ移動した。食べながら、騒々しい人々を遠目にぼんやりと観察する。なかには人混みを駆け回り周囲に迷惑をかけている男性と、それを追いかける少女も居た。その二人に少し既視感を覚えたが気にせず観察を続ける。
食べ終わり帰ろうとした瞬間、少女が現れた。七福神の弁財天の転光生・ベンテンちゃんだ。友人であり、バズドリのギターリストでリーダーでもある。息を切らして真神の肩に手を置く。
「あんた、確かドラム叩けたわよね」
困惑しつつも頷いた真神の右手をベンテンちゃんは掴む。左手には七福神の大黒天の転光生・ダイコクを捕まえている。細身の体からは想像できない力で二人を引きずり、黄金の宝船へと乗せてしまった。振袖姿で転んだ真神が気がついたときには、ドラムの前に座らされていた。
この宝船は七福神の一人・
ベンテンちゃんに捕まった以上、彼女を満足させなければ開放されないのはいつもの事。真神は観念して受け入れた。
浅草で起きている暴動を鎮めるため、目立ちたがり屋のベンテンちゃんはゲリラライブを企んでいた。
彼女の権能は“流れを変える”もの──波だけでなく、人々の感情や空気の流れさえも自在に操ることができる。怒りと不安に満ちた街を、彼女は笑いと歓声の渦へと変えようとしていた。禍を転じて福となし、混乱を縁起へと導くようにして。正月、七福神が舞い降りる浅草を、祝福と音楽で満たそうとしているのだ。
真神はその説明を聞きつつ、ダイコクとの過去を思い出し居心地の悪さを覚える。彼は新宿警視庁の所長であり、以前、真神がギルド関係の事件で捕まった際に顔を合わせていた。厳重注意で済んだものの、その印象から嫌われていると感じていたのである。それでも、現在東京へ転光してきている七福神、四人と知り合いということで、エビスやホテイさんの存在に少し安堵した。
ドラムを人目につかない位置へ移す際、真神はダイコクの視線を避けながら、協力してくれる二人に感謝した。
いよいよライブが始まる。曲を知らない真神は緊張したが、経験を活かし、なんとか無難に叩いて違和感を出さずに済ませた。そこでふと気づく。――これはいつもおかしなことに巻き込まれるという証拠になるのでは?
すぐにスマホを取り出し、黄金の宝船の上でマイクを握る七福神たちの姿と、ドラムを叩く自分を収めるよう動画を撮影する。一般人からは見えない位置で匍匐前進し、ギリギリの角度で下から見上げる観客の姿も撮った。
撮影を終えると隠れるように下船し、摩利支天徳大寺へ行く体力も残っていなかったため、タクシーで学園へ帰宅した。
後にSNSを確認すると、「浅草」「七福神」「バンド再結成」「振袖のドラマー」がトレンド入りしていた。振袖のドラマーとは、間違いなく真神自身のことだ。だが、プロのバンドメンバーが奇天烈な騒動に巻き込まれたなど知られてはならない。ニュースになれば余計な仕事が増えるだけである。
数日見張っていたが、流出した写真や動画は「振袖のドラマー、女性」としかわからず、ドラムで顔が隠れていたため正体は割れなかった。せっかく証拠を掴んだのに大ごとになりすぎ、話せるのは話しても無害になる友人だけ。バンドメンバーにすら言えなかった。振り袖のドラマーの正体を知っているのは、七福神の四人とゴウリョウ、従者のオニワカのみである。
正月早々とんでもない目に遭った真神だが、後日ハクメンちゃんには事情を語らず礼だけを伝えた。七福神が正装していたのだから、黄金の宝船に一般人が乗るなら振袖は場にふさわしかったのではないか――そう思えたからだ。
「ありがとう、ハクメンちゃん」
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