アンサンブル

macchiato

はじめましてじゃない?
夢を見ていた。目の前には透き通るほど澄んだ川。その向こうには見渡す限りの花畑。
なんだか気分も良い。どこまでも飛んで行けそうな気持ちだ。そう思い空を仰ぐ。
雲ひとつない晴天だ。仰向けに寝転がる。草原のはずなのに、ふかふかと気持ちが良くて、眠ってしまいそうだ。ゆっくりと瞼を閉じると、突如額に冷たい雨。いや、額だけでは無く、頬にも、首にも冷たい雨が…。

「冷たっ!」

閉じていた瞼を開ける。何度か瞬きを繰り返すと、ぼやけていた視界がクリアになっていく。そこには名前の顔を覗き込む3人の男子生徒が。

「よ、良かった〜!名字さん、気付いたか?」

少しの沈黙の後口を開いたのは、赤みがかった瞳をわずかに潤ませている炭治郎。

「ぐすっ、俺っ、俺っ、事故とはいえ女の子の柔らかいところを触ってしまうなんてっ…この責任は必ず取るからね!名前ちゃん!」

続いて顔中涙や鼻水でぐちゃぐちゃにしながら話す善逸。

「ぎゃっはっはっは〜!俺様のお陰だな!感謝しろ!」

豪快な笑い声と共に両手に持った冷えピタを掲げる伊之助。

「伊之助!さすがに貼り過ぎじゃないか?ごめんよ、名字さん。冷たくないかな?」

目の前で繰り広げられている光景は現実なのか。先程まで見ていた花畑は、空は、雨は…。
炭治郎に言われて気付く。額と頬と首が異様に冷たい。伊之助が持っている冷えピタを見て、ああ、あれを貼ってくれたんだな、とどこか冷静に分析する。
ふかふかだと思っていたのは布団に寝かせてくれていたから。そういえば微かに消毒液の匂いがする。どうやらここは保健室らしい。

「…名字さん?」

まだ夢と現実の狭間で虚ろな瞳で周りを見渡している名前の目の前に、赤みがかった瞳がさらに近づく。

(ち、近い…。)

異性の顔がこんなに接近することに慣れていない名前の顔は、ぷしゅーっと音が出そうな程一気に赤みと熱を帯びる。
顔や首まで貼られ、あんなに冷たいと思っていた冷えピタも、今や心地よい冷たさへと変わった。

「あの…近い、です…。」

蚊の鳴くような声でなんとかその言葉を絞り出し、名前は頭まで布団を被る。

「え?あっ、ああごめん!」

炭治郎も言われて初めて自分と名前の顔の近さに驚き、名前ほどではないがほんのり顔を紅潮させ距離を置く。
なんとも言えない微妙な空気が2人の間を漂う。

「名字さん、良かった、目が覚めたんですね。気分は?痛いところは?」

ちょうどその時、扉の開く音と共に心地良い声が布団越しに聞こえた。
布団からゆっくり顔を出し、声の主を探す。そこには白衣を纏った美しい女性の姿。同じ女性でも思わず見とれてしまうほど艶っぽくて、まるで…。

「…女神様?」
「はい…?」

思わず口に出てしまった言葉に慌てる名前と、不思議そうに首をかしげる白衣の女性。

「まだ頭が混乱しているのね。まず、ここはキメツ学園高等部の保健室です。そして私は養護教諭の珠世です。」
「あ、保健の先生…。すみません、綺麗すぎて、まだ夢を見ているのかと…。」

高等部にはこんなに美しい養護教諭がいたのかと驚き、思わず心の声が溢れてしまう名前。
すると珠世の背後からなんとも禍々しいオーラを漂わせながら、学ラン姿の男子生徒が現れる。

「当たり前だ。珠世先生は世界一、いや、宇宙一、いや、銀河一お美しいんだ。女神だの綺麗だの、ありきたりな言葉を並べやがって。珠世先生の美しさはそんな一言では片づけられないんだ…!」

そう一気にまくし立てたと思いきや、珠世と名前の間に割って入ってくる。まるで威嚇する猫のように鋭い目つきで睨まれ、名前はたじろぐ。

「こら、愈史郎くん。いきなりそんな警戒心をあらわにするものではありませんよ。同じ学園の生徒なんですから。」
「はいっ、珠世先生!」

珠世に一言注意されただけでこの従順さである。あまりの変わり様に名前は先ほど自分に向けられた鋭い目つきと言葉は幻だったのではないかと思ったほどである。

「それはさておき、名字さん、体調は?」

改めて名前に向き直り体調を尋ねる珠世。

「あ、はい…まだ少し頭がぼーっとするのと、少し首を寝違えた感じで痛いくらいです。あとは今のところ…。」
「本当に?吐き気とか、手足の動かしづらさはない?なんせ男子高校生3人に押し潰されていたんですもの。今は大丈夫でも、今後何かしら症状が出てくるかもしれません。今日の入学式は休んで、病院に行きましょう。」

幸いにも今のところ、怪我の程度はそこまで大きくなさそうだが、頭部を打った様子であることや今の今まで気を失っていたことから、病院での精密検査を勧める珠世。

「あああ頭!?首!?病院!?どうしようどうしよう!俺が乗っかっちゃったせいだよね!?ね!?ほんっとーにごめんなさい!」
「全くだ!ま、俺様は山の神だからな!怪我でもなんでも治してやる!さっき冷やしてやったみたいにな!ガハハ!」
「おい、そこの黄色頭と上裸男!珠世先生のお耳に汚い音を聞かせるんじゃない!」

その一通りのやり取りを聞きカタカタと震えながら叫び始める善逸と、どこか的外れなことを言いながら豪快に笑う伊之助。そしてそんな2人を青筋を立てながらまた威嚇する猫のような鋭い目つきで睨みつける愈史郎。

「名字さん、大丈夫か?こんなことになって本当に申し訳ない。誰かお迎えに来てくれそうな人はいるか?」

そんな3人のやり取りは華麗にスルーしつつ、名字のことを気にかける炭治郎。

「えと…多分お母さんが迎えに来れると思う…。」
「そうか!連絡はできるか?先生にしてもらった方がいいか?それとも俺がするか?」

てきぱきと話を進める炭治郎に頼もしさを感じ安心する名前。
そういえば炭治郎くんは6人兄弟の長男だと噂で聞いたことがある。この面倒見の良さはそこから来ているのかと1人納得する。

「学校で起きたことなので、連絡は教員の私がしましょう。経緯も説明しなければいけませんし。」
「ではお言葉に甘えて…。」
「珠世先生直々に電話してくださるんだ!感謝するんだな!」
「愈史郎。」
「はい!」

珠世の言う通り、教師から連絡を入れてもらった方が安心だ。それにしても、珠世の一挙手一投足にいちいち反応して突っかかってくる愈史郎の存在が気になって仕方が無い。
気になると言えば、目が覚めてからずっと気になっていたことがある。

「あの、さっきから私の名前…。」

そう、まだ自己紹介もしていなかったはずだが、先ほどからそんな自分の名前を炭治郎と善逸は何度も呼んでくれているのである。

「ふっふっふっ…。それは野暮な質問だよ名前ちゃん…。この我妻善逸、学園中の全ての女子の名前と顔は一致済みなのさっ。」
「気色わりい。」
「何だと!まっ、いつまでも俺や炭治郎の名前すら覚えられないお前には分からないだろうがな!」

またやいのやいの言い合いが始まった。それを、またか、という表情で横目に見つつ名前に向き直る炭治郎。

「善逸はあんな感じらしいけど…俺は、もっと前から知っていたんだ。毎年合唱部の発表でピアノの伴奏をしているだろ?学年全体の合唱の時とかも…。」
「覚えてくれてたんだ…私も3人のことは前から知ってたよ。」
「そうなのか?」
「うん…一応初等部からいるし…昔から何かと目立ってたし…。」
「ははは…そうかもな。いつもうるさくしてすまない。」

名前からの認識のされ方に、どこかバツが悪そうに苦笑しつつ頭を掻く炭治郎。
キメツ学園はクラスが多く生徒数も多い。初等部からの付き合いであってもクラスや部活が同じにならない限り、顔と名前が一致しない生徒がいるなんてことはザラだ。
そんな中、炭治郎が自分のことを認識してくれていたことに、名前はどこか心がじんわりと温かくなるのを感じた。

「名字さん、お母様と連絡が取れました。これから迎えに来てくれるそうです。お母様、看護師さんなんですね。お勤め先の病院で精査してくれるそうです。話が早くて助かりました。」
「そうなのか!それなら安心だな!」

名前の母親と連絡がついた珠世から報告を受ける。炭治郎も自分のことのように喜んでくれている。
仕事を抜け出して来てくれる母親に感謝をしつつ、なんとも間抜けな経緯を説明されたことに対する恥ずかしさに、名前はなんともむず痒い気持ちになるのだった。

「失礼する。私の生徒の体調はいかがなものか。」

保健室の扉が開く音と同時に、今まで見たこともないくらいガタイの良い大男が入室してくる。その大きな手には数珠を持っており、常に合唱のポーズをしている。

「お疲れ様です、悲鳴嶼先生。ちょうど先ほど目を覚ましたところですよ。親御さんには連絡済みです。大事を取って、今日の入学式は欠席してもらって、病院で精査してもらうことにしました。」
「なんと。もうそこまで話をつけてくれてあるとは。さすが珠世先生。」

珠世と親しげに話すこの大男は、どうやら教員のようだ。私の生徒、と言ったということは…。

「失礼、挨拶が遅れた。私は高等部1年筍組担任を仰せつかった、悲鳴嶼行冥。担当科目は公民。これからよろしく頼む。名字名前。」
「あ、こちらこそ、よろしくお願いします。」

こんな大男が担任だなんて、なんだか心強い。数珠や念仏等、色々突っ込み所はあるが…と考える名前だったが、一先ず今は考えるのをやめようと切り替えることにした。

「さてと、名字さんも目が覚めてお迎えも呼べたことですし、皆さんは入学式に参加してください。悲鳴嶼先生も、名字さんは私が親御さんに引き渡しますので、どうぞ入学式へ。」
「心遣い感謝する。親御さんへはまた後ほど担任である私からも連絡をさせていただく所存。時に、我妻善逸、嘴角伊之助、竈門炭治郎。」

それまで穏やかにやり取りをしていた悲鳴嶼先生の雰囲気から一転、空気が変わったのを肌で感じ、その場にいる全員が石のように固まった。

「君たちは自分のしたことがいかに危険な行為であったのか理解し、反省しているか。1つ間違えれば大きな事故に繋がっていたのかもしれぬのだ。ましてやまだ嫁入り前の少女を巻き込んで。きちんと反省の心を示したのか?」

諭すような、しかし隠し切れない怒りを孕んだ低音ボイスが保健室に響く。

「ご、ごめんなさい…。俺、女の子のことになるとついつい周りが見えなくなることがあって…。本当に申し訳ない…。この通り!肉なり焼くなり好きにして!!どんな形でも責任は取るから!!!」
「我妻君やめてよ土下座なんて…!」

光の速さでベッドサイドに来たかと思えば、その勢いのまま華麗に土下座を決める善逸の姿にあたふたするしかない名前。

「名字さん、俺も、善逸を止めることに必死で周りが見えてなかった…。本当に申し訳なかった。親御さんにも直接謝らせてほしい。」
「そんな気に病まないで!私もぼーっとしてたのがいけないんだし…。」
「へっ、それもそうだな!お前、鈍臭そうだしな!」

こちらが申し訳なくなるくらい肩を縮こませ誠実に謝罪をする炭治郎と対照的に、名前の自虐に乗っかり笑う伊之助。

「嘴角伊之助。お前は理解も反省もしていないようだな。まずはそのシャツのボタンを留め、ネクタイを締め、ジャケットを着なさい。正しい姿で、正しい心を示すのです。」
「はあ〜?!それとこれと何の関係があるんだよ!オッサン!」

徐々に額の青筋が際立ち始めた悲鳴嶼の姿に臆すること無く反論をする伊之助の姿勢に、名前は唖然とする。

「君にはまだ指導が必要なようだ。生徒指導室に案内しよう。冨岡がその腐った根性を叩き直してくれるだろう。」
「うわっ、ちょっ、離せよオッサン!くそっ、なんて力だ!」

南無阿弥陀仏、と片手で合掌しながらもう片方の手で抵抗する伊之助を軽々と保健室から引きずり出す悲鳴嶼の姿を、残された面々は放心しながら見送るしかなかった。
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