飛電インテリジェンスが所有する、低軌道通信衛星ゼア。
通信衛星と言えども国家規模の宇宙ステーションと遜色ない大きさを誇るそれは、地上からのオペレーションだけで満足な運用に足る代物ではない。


その管理、メンテナンスを行う為ゼアに駐留する宇宙飛行士ヒューマギア・宇宙野郎雷電は、地上にある宇宙開発センターの運用管制室に向けて、本日の作業プラン完了の報告を入れていた。


「お疲れさん、雷電」

「最近の作業計画はが立ててるんだな」

「ああ、最近はすっかり任されてるみたいだな。そういえば、今日は勤続10周年の褒賞を受けに本社に行っているよ。早いもんだよなあ」

「ふうん…」


デイブレイク以前から飛電の宇宙開発に携わってきた雷電。衛星ゼアの打ち上げに成功した今では宇宙にいる時間のほうが長い彼だが、それ以前はセンターでの新人教育に尽力してきた。

年嵩の交信担当との会話で、雷電は管制室に姿の見えないの姿をイメージする。
女性の絶対数が少ないこの分野にあって、カミナリを落とされては涙目になりながらも負けじと励み続ける彼女の姿をずっと見てきた。雷電はに対して、明瞭な言葉では説明しえない感情――本来ヒューマギアに感情は存在しないが――があることを認識していた。


「急用が出来た。地上に降りる」

「兄さん?」

「悪いな、昴。明日の作業開始までには戻る」


弟分の後継機、昴に現場を任せると、雷電は帰還用小型シャトルのドックへと足を向けた。


- - - -


本社社屋でとり行われた褒賞授与式に参列したは、職場である宇宙開発センターへと歩を進めていた。

なぜか勤続10年組の代表に選ばれた際、面倒だったが周囲の薦めもあって断りきれず出席することにした
結果、やはり断るべきだった、と慣れないヒールに痛むつま先を睨みながら思う。

上長からは式が終わり次第直帰して良いと言われていたが、改めて10年と言われると、それだけの月日を共に過ごした宇宙開発センターが急に恋しくなった。どうせ明日になればまた出勤するというのに妙な感慨だ、と自嘲しながらも、は夜風を感じながらのんびりと足を進める。

その時、プルルル、と着信を知らせる機械音が静寂を破った。
自身のライズフォンを鞄から取り出すと、その液晶に浮かぶのは『宇宙野郎 雷電』の文字。
どくん、と胸が跳ねた。軽く深呼吸をして、通話ボタンを押す。


「…もしもし?」

「おう、俺だ」

「どうしたの?携帯に連絡してくるなんて、珍しい」


聞き慣れた、さりとていつでも気軽に聞けるわけではない想い人の声は、管制室で画面越しに交信する際のそれとは少し違って聞こえた。
耳元に直接響く、そのさわりの良いハスキーな声音に、鼓動が早まるのを感じる。
しかし、トラブルであれば管制室に連絡するはずだから、要件に思い当たる節はない。


「今どこだ?」

「え?センターに向かってるところだけど…もうじきロケット広場が見える」

「なんだ、じゃあ近いな」

「え?」


プツリ、と急に電話が途切れる。
わけがわからない。何が近いんだろう?との頭に疑問符が浮かんだ、その直後だった。
目の前に現れたのは、本来ならばここに在るべきではないその人。
だが、闇夜に青い光を浮かべるその旧世代型のモジュールと、目にも鮮やかなオレンジ色の繋ぎ姿を、見間違うはずもない。


「雷電?!」

「よお」

「うそ、なんでこっちに…?今日は帰還予定、なかったよね?どうしたの?」


目を丸くして駆け寄るの矢継ぎ早の質問は全て無視して、雷電は事も無げに自分の要件だけを伝える。


、勤続10周年なんだってな」

「え?そうだけど…」

「おめでとう」

「ありがとう…」


沈黙が走る。雷電はそれ以上、言葉を続けるつもりがないようだった。


「え、それだけ?」

「それだけとは何だ、ああ!?」

「ご、ごめんなさい!顔が怖い!」


盛大に眉間に皺を寄せ、今にもお決まりのあの台詞が飛び出してきそうな威勢でを睨み下す雷電。が、意外にも雷が落ちることはなかった。


「…それだけだよ。悪いか」

「え、待って、それじゃあ…わざわざお祝い言いにきてくれたってこと?」

「ああ」

「わざわざ?」

「二回言うんじゃねえ」


不機嫌を隠さない顔のまま視線を逸らすと、腕を組んで身体ごとそっぽを向いてしまう雷電。その仕草は、そうと知らなければどう見ても人間のそれだ。
露骨にばつの悪そうなその様子を見て、対照的に冷静さを取り戻しつつあったは、状況を整理するようにぽつぽつと独り言ちる。


「わざわざソラから?それだけのため?…私のために?」

「だから何度も…ったく、帰るぞ!」

「だ、だめ!」


その反応が気に入らなかったのか、ついに背を向けてしまった雷電を、追い縋るように捕まえる。
せっかく会えたのに、もう終わりなんて嫌だ。雷電のつなぎの背を握り締めながら、思わず情けない声が漏れる。


「待って、帰らないで!…お願いだから」

「…心配しなくても、そんな直ぐに帰るかよ」


振り向きながらニヤリと笑みを浮かべる雷電は、始めからそんなつもりはなかったらしい。 ヒューマギアに揶揄われた事のある人間なんて、私くらいじゃなかろうか。
みっともなく縋り付く自分の様に急に羞恥が沸き上がり、慌ててその手を離す。


「センターに戻るか?」

「ううん、ここで話したい。」

「ここで?」

「実は、ちょっと足痛くて。慣れないもの履くから」

「確かに珍しい格好してんな」


話しながら近くのベンチまで移動すると、するりとパンプスから足を抜く。全身スーツなんて何年か振り、と言いながら、疲労の溜まった脚を伸ばし楽な体勢を探る。
雷電は隣に腰掛けると、キュイン、とモジュールを鳴らしながら語り始めた。


「初めて会った時もそんな格好だったな」

「そうだっけ。さすが、良く覚えてるね」

「ガキンチョみてえな顔してるぜ」

「やだ、メモリー閲覧してるの?!やめてよ恥ずかしい」


くつくつと笑いながらモジュールを作動させる雷電は、どうやら過去の画像か映像記録でも見ているらしかった。自分の記憶よりも鮮明であろうそれを彼に改めてまじまじ観察されるのは、なんともむず痒い気分だった。

彼と出会ってから10年。当初はこのカミナリを落とすのが趣味のような恐ろしいヒューマギア相手に萎縮しきっていただが、長い時間を傍で過ごすうち、気付いた時にはすっかり心を奪われてしまっていた。
こんな風に対等な口調で話すようになったのは、見た目の年齢で彼を追い越した頃だったろうか。

10年だ。きっと雷電のメモリーにいる私は、今よりもずっと若々しくて、ずっと愛嬌のある女の子なのだろう。一歩一歩おばさんに近づいている、今の私とは違う。


「…まあ、老けたのは認めるけどさ」

「そうだな」

「ちょっと!」


哀愁を籠めて言ったつもりが冗談にされ、もう!と口を尖らせると、雷電はけらけらと声を上げて笑う。
こんな風に人間と冗談を飛ばし合って笑うヒューマギアを、私は彼以外に知らない。
初めて会った時からずっとそうだ。彼はいつだって、まるで人間みたいに笑う。


「…雷電は変わらないね」

「ヒューマギアだからな」

「そう、だね」


ヒューマギアに恋をするなんて、自分でも馬鹿げていると分かってる。
こんな無駄な気持ちは忘れるべきだと、他の男性と付き合ったこともあった。それでも、この心に根を張った雷電への想いは、決して消すことは出来なかった。

頭では分かっている。このまま彼を思い続けても、意味はない。
人間同士であれば普通に恋愛をして、結婚して、子供を授かって。ごくごく自然なヒトの営み。それは、不自然の存在であるヒューマギアが相手では為しえない幸せ。
ヒューマギアに人権はない。戸籍はない。生殖機能はない。分かっているのだ。

それでも、まるでヒトと同じ心があるかのような雷電は、にとってどんなヒトよりも愛おしかった。
考えると、ツンと鼻の奥に熱いものが込み上げてくる。


「雷電はなんでヒューマギアなの」

「何だそりゃ」

「…雷電が人間だったら良かった」

「…無茶言うんじゃねえよ」

「うん。ごめん…わかってる。ごめん…」


わかってる。誰よりも自分が良くわかっている。彼を想えば想うほどに突き付けられる、絶対の真理。ヒューマギアと人間は違う。姿は似ていても、何もかも、圧倒的に別の存在。
分かっていても、それでも。
涙とともに、どうしようもない想いが溢れた。


「雷電……好き」

「………」

「…ごめん、今のなし」


口が滑った。忘れて、と言いかけた刹那、強く肩を引かれる。
雷電の肩に額が当たる。気が付くとは、彼の腕の中にすっぽりと収められていた。


「らい、でん」

「無理だ。もう記憶しちまった」

「忘れて」

「出来ねえ」

「なんで…ッ」


なんでこんなことをするの、と問いたかったが、嗚咽を漏らすまいと耐えるのに必死で、まともな言葉を発することは出来なかった。


「お前こそ、なんでだ」

「え?」

「俺はヒューマギアだ」

「…知ってる」

「人間の男みたいに、してやれること、何ンもねえぞ」

「ッ、うん…」

「それでもいいのか」

「うん…いい。雷電がいい。雷電が、すき」

「俺も好きだ」


はその鼓動の聞こえない胸に抱き締められたまま、瞳を見開いた。
ヒューマギアに感情はない。ないはずなんだ。そんなこと、あるわけないから、諦めようとしていたのに。


「うそ」

「嘘呼ばわりかよ。カミナリ落とされてえのか」

「だって」

「ヒューマギアだから信じられねえか?」

「……ごめんなさい」

「もういっぺん言うぞ。、好きだ」


二度も繰り返されたその言葉を、もう否定することは出来なかった。
雷電の固い胸板を押し返し顔を上げると、視線がぶつかる。今にも鼻先が触れるような距離。キュイン、キュインと、頭部のモジュールが思考し続ける音が至近距離で響く。


「…わたし、どんどんおばさんになるよ」

「ああ。そうだな」

「おばあちゃんにもなる」

「その前に俺が壊れるんじゃねえか」

「私が直す」

「お前、ヒューマギア修理できねえだろ」

「勉強する」

「ハッ、そうかよ」


いつまでも続きそうな問答に呆れたように、雷電は溜息にも聞こえる苦笑を漏らす。いつもの豪快な彼とは違ったその穏やかな笑顔を見て、もう人間だろうがヒューマギアだろうが、そんな事はどうでもいいと思った。
雷電が好き。傍にいたい、ただそれだけで。


「雷電」

「ん?」

「私が死ぬまで一緒にいてね」

「お前こそ、俺が壊れる前に死ぬんじゃねえぞ」


お互いに物騒な約束を吐き合いながら、月夜に照らされた二人はその唇を重ねた。



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