エニグマとピロウ・クイーン



目を覚ますと、最初にむせ返るような薔薇の匂いが鼻についた。天蓋付きベッドに私は寝かされていたらしい。身体を起こすと部屋は黒と赤を基調とした見知らぬ部屋にいた。真っ赤な薔薇が部屋の至る所に飾られていたのが匂いの正体だ。どのくらい眠っていたのか、窓の外を見るともう夜になっているようだ。
私はベッドから立ち上がり、ひとつだけあるドアへ向かおうとした時そのドアが開いた。

「あぁ、ちょうど良かった」
「あなたは……」

レオンと名乗った彼がそこにはいた。そうだ、この人にロンドンの街中で話しかけられて――。

「ここは、何処なんですか?」
「あれ? 君は知ってるんじゃないの?」
「……え」

ここを、私は知っているの?
部屋を見渡しても何も思い出せない。青年は首を傾げ、私の事を凝視している。

「おかしいな、奥様が"お気に入り"が帰ってきたって言ってたのに」
「……奥様?」
「まさか、ボクが目を掛けた娘が奥様の"お気に入り"だったなんてね」

話が見えない。でも、その"奥様"という人は私を知っているんだろうか。

「あなたは、……私を知ってるんですか?」
「ボクは君がいなくなってから奥様と出会ったみたいだから、以前の君は知らない。奥様はボクの理解者であり、パトロンでね……」

彼が徐々に近づいてくる。壁に追い詰められて、冷たいものが私の首に当たった。ソレが何か分かって息を飲む。

「……っ…!?」
「君はボクの正体にすぐに勘付いたみたいだね。ボクが初めて人を殺めたのは12歳の頃……母親を殺したんだ」

初めて会った時から感じていたこの人の不気味さ。きっとそれはこれだ。

「死化粧はみんな綺麗って言うでしょ。やっぱり女性は死んでからの方が綺麗だよ」
「……いやっ……」

優しい、柔和な貴族の青年の眼の底には殺人鬼の眼があったのだ。
当てられたナイフが降ろされる。

「逃げようとか考えない方が良いよ。あの人、綺麗な顔してボクより怖いから」
「……っ」

ひとりの侍女が部屋に入ってきた。レオンは侍女が持ってきたドレスに着替えるように言って、出て行った。用意されたのはサテンの漆黒のドレスだ。胸元が広く開いた襟で、袖はほっそりとした腕を強調し、流れ落ちるドレスには銀色の薔薇の刺繍が施されている。

「……あの、奥様ってなんてお名前なの?」

侍女に聞いても何も答えなかった。何も言わないように言われているのか、恐れているのか、私の着替えを淡々と手伝うだけ。
ドレスに着替えると、ある事に気付く。アンダーテイカーに付けられた真っ赤な痕が広く開いたデコルテにより見えてしまう。

「ショールとか、ありませんか?」

そう言うと侍女はクローゼットからショールを出してくれた。
これから私はどうなるんだろう。ここは大人しく従うべきなんだろうか。彼が言う奥様に会って話せば解決するのか。
痕を隠すようにショールを羽織る。

「……アンダーテイカー……」



「お嬢様が?」
「ここにも来ていないか…」

急に天気は豪雨と化した中、葬儀屋はファントムハイヴ邸へと赴いていた。
仕事から帰ったら、居るはずのサラの姿が見当たらない。夜になっても帰ってこず、葬儀屋は彼女を探しに出たのだ。

「何かに巻き込まれた可能性が高いな」
「気配を追うにしても、お嬢様は魂の存在が薄い方です。なかなか骨が折りますね」

葬儀屋も彼女の気配を探知してみたが感じる事が出来なかった。
3人が策に困っていると、隣の部屋から飄々ととある男が入ってきた。

「あれ〜、どうしたの? そんな3人で暗い顔して?」
「劉! お前いつの間に来てたんだ」

中国の貿易会社・崑崙の英国支店長の劉は何か楽しそうなものを見つけたような足取りだった。

「そういえば、アードレイ伯爵夫人って知ってる?」

思わぬところで、例の伯爵夫人の名がこの男から上がった。

「お前、面識があるのか?」
「いや〜、ちょっと見かけた事があるだけ。……とあるオークションでね」
「詳しく教えろ、劉」

劉は人身売買のオークションで彼女を見かけたという。漆黒の髪を持つ美しい未亡人がそのオークションで若い娘を何人か買ったというのだ。

「やはり、アードレイ伯爵夫人はオークションに参加していたのか」
「我が気になったのはそこじゃないんだよ。みんなが口々に言ってたよ、最近人が変わったようだって」
「人が、変わった?」

――人が変わったように美しいってね。

「アードレイ伯爵のご夫人ってあーんなに若かったかなって。ちょっと不審だろう?」
「さすが上海マフィア青幇の幹部だな。セバスチャン、アードレイ伯爵邸に向かうぞ。馬車の用意を 」
「御意」

アンダーテイカーはその話を聞いてすぐに姿を消した。初めてサラを拾ったあの場所へ彼も向かう。



「あぁ、やっと会えたわサラ!」

彼女の顔を見て、私は全て思い出した。
歓喜の顔を私に向けて彼女は近づいてくる。

「戻ってきてくれたのね!やっぱり私には貴女が必要なのよ!」

――テレーズ・アードレイ。
それは彼女が表向きに名乗る名前。
彼女が、とある伯爵夫人から奪った名前。

「…ミシェル、さん…」

彼女は私にミシェルと名乗っていた。アードレイ伯爵の遠縁の親戚と最初の頃は言っていた。アードレイ家の領地内に住む私をお茶会に誘ってくれたのがすべての始まりだ。貴族のご令嬢なのに、身分隔てないその優しさに魅了された。
そうしてある日、私は城の中に通されたのだ。通された先の光景を見て、私はここから死にものぐるいで逃げた。

「サラ、貴女の血はもらったわ。……あとは」

彼女の手には長い針が握られていた。
私の脳を恐怖が埋め尽くす。


「貴女の魂を私に頂戴」


To be continued…

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