エスコルピオンの毒は甘く



「ねぇ、私のおしゃべり相手になってくれない?」

ミシェルさんと出会ったのは森の中。
優しく微笑んだ彼女は私を城の外に咲く、薔薇園に導いた。
薔薇香る所で、レースのテーブルクロスの上に可愛らしいスコーンやタルト。磨かれた銀食器に、装飾が施されたティーカップにはダージリンの紅茶が注がれる。

「村の女の子とおしゃべりしたいと思って、みんなも招待したのよ」

テーブルには村の女の子達も座っていて、私もそこへ手招きされた。ミシェルさんから貴族の令嬢が学ぶようなマナーを学んだり、簡単なダンスを教わった。ミシェルさんは身分を気にせず、私達に可愛くて綺麗なものをたくさん教えてくれたのだ。
そんなある日、いつも居るはずの友達の女の子がいないことに気づいた。そういえば最近、村でも彼女の姿を見ない。

「……実はね、彼女は特別に城の中に招待したの」

――貴女も来てみる?
ミシェルさんは私達をお城までは入れなかった。だから、私は彼女に手を取られて真っ黒なお城の中へと進んで行ったのだ。
お城の中は異常に静かだった。ミシェルさんは親戚であるアードレイ伯爵夫人と暮らしていると言っていたけれど、そんな夫人の姿も無い。でもこんな大きなお城なんだから、当たり前だと言い聞かせながら私は地下へと下がる。

「ここは私の秘密の場所」

古びた大きな扉が錆びた音を立てて開く。数本の蝋燭の灯りの中で、ぼんやりと何かがそこにはあった。
不思議な模様の中心に、友達はいた。けれど彼女は倒れていてピクリとも動かず、真っ赤な海の中にいたのだ。
そのとき背中に鋭い痛みを感じて膝から崩れ落ちる。

「あぁ、やっぱり! 貴女の血はこの子よりも上質ね……!」

見たことがない、ミシェルさんの恍惚とした表情。それはナイフに滴る私の血を舌で舐め取っている異常な光景だった。

「大丈夫、貴女は私の中で生きるのよ」




あの時と一緒だ。
全て思い出した私は部屋から飛び出して、階段を駆け下りる。逃げなければ、今度こそあの人に殺されてしまう。

「…っあ、きゃあ!」

長いドレスの裾を踏んでしまい、ガクンと身体が落ちていく。そのまま階段に身体を打ち付けられて、下へ下へと転がり落ちる。身体全身が痛くて仕方ない。
そうだ。私はあの時、森で姿を隠しながら追っ手から逃げていたのだ。どのくらい逃げ続けていたのか分からないけれど、その時に坂から落ちた。

「女の子は、生まれた時は虫けらと同じ」
「……っ!!」

階段の上に、ミシェルさんが立っていた。お茶会の時のような優しい彼女などもう何処にも居なかった。金の瞳はもう何も映さない、映るのは私の中の命だけ。

「そうしてやがて夏がくると蝶になるの。それまではみな、生まれながらの気質や野生のままに、生きる幼虫なのよ」

身体を起こそうとするが足が立たない。足を捻ったのか激痛が走る。ミシェルさんは一段、一段、降りて来ては怪しい笑みを浮かべいる。

「私はね、そんな蝶を捕まえるのが好き。貴女はそんな蝶達の中でも特別だったわ」
「…うっ……っ痛!」

引きづる足に彼女が握る針が深々と刺さっていた。彼女の不気味なほど美しい顔が至近距離に迫る。恐怖に目から涙が溢れた。

――あぁ、ここまでか。



「……どうして」

沈黙の後、彼女は怒りを含んだ一言を呟いた。目を開けると彼女は私の一点を見つめて動きを止めていた。

「この子は私の物なのに、どうして!?」

私の胸元に散った花を彼女は忿怒の目で睨んだ。彼女の手が私の首に伸びて、力の限りで締めてくる。

「絶対に渡さないわ……この子は私の中で生きるのよ」

抵抗しようにも息ができず、力が上手く入らない。
このままこの人の手で死ぬ。
それは嫌だ、こんなところで死にたくない。
アンダーテイカーに会いたい。まだ好きだとちゃんと伝えていないのに。

「返しておくれよ、その子はとっくに小生のものだよ」

声がした。
その時、ミシェルさんは悲鳴をあげて倒れ込んだ。その隙に、ふわりと誰かに身体を抱えられていた。ぼんやりとした視界の中であの黄緑色の燐光がはっきりと見えた。

「サラ、分かるかい?」
「……アンダ…テイカー……?」

アンダーテイカーの声を聞いて安堵の涙が流れた。もう大丈夫、と唇にキスを落とされて、強張った全身の力がふっと和らいだ。

「坊ちゃんがおりますので、その続きは後ほどでお願いします」
「おい、僕を子供扱いするな。」

伯爵とセバスチャンもそこにはいた。
ミシェルさんの笑い声に、私達の視線は彼女に向く。彼女の背中にはセバスチャンが投げたのであろうナイフが突き刺さっていた。そんな状態でも、フラつきながら彼女は立ち上がる。

「本当のテレーズ・アードレイ伯爵夫人はどこにいる?」

伯爵がミシェルさんに銃口を向ける。彼女はそれでも笑みを浮かべ続けて言った。

「あの人、私の事に気付いたみたいでね……今はこの城の薔薇の下に埋まっているわよ」

大した事ではないように彼女はさらりと言ってのけた。アードレイ伯爵夫人はとうにこの世にはいなかったのだ。

「女性達は黒魔術に使っていましたか。どうりでお嬢様の魂が薄いわけです」

セバスチャンの言葉に地下の部屋で見た不思議な模様を思い出した。あの子は、私の友達は生贄にされたのか。私もあの時背中を斬り付けられて血を取られた。

「そう……、血を貰って最後に魂を頂くの。みんな、みんな私の中にいるわ」

震えが止まらなくて、アンダーテイカーにしがみ付く。
彼女は最初から私を殺す為だけに近づいてきたのだ。もう少しで私も彼女に命を完全に取られていたと思うと恐ろしかった。

「君の中には、だーれもいやしないよ」

アンダーテイカーは私を降ろして、血が流れる足を止血してくれる。いつも優しい黄緑の瞳がミシェルさんを睨みつけていた。

「魂を自分の物になんてできないんだからさ」
「……返して、サラは私のものよ」

血を流しながら私に近づいてくるミシェルさんとの間にアンダーテイカーが入る。
その時、ミシェルさんの隣に上の階にいたレオンが降り立つ。

「レオン、あの子を私の元に……」
「……」

レオンの手にナイフが握られ、そのまま彼は自分の主人の首に突き刺した。誰もが驚くその行動に、ミシェルさんは目を見開いて彼を凝視する。そんなミシェルさんに彼は不敵に笑いかえす。

「貴女とは気が合ったけど、ここまでだ」
「……な、……で…?」

首を横に掻っ切り、ミシェルさんは膝から崩れ落ちた。階段を流れ落ちる大量の赤に目を背ける。

「ほら、貴女だって死んだ方が綺麗だ」

絶命した彼女の横顔を見下ろして彼は少し寂しげに言った。それからまたいつもの柔和な表情で私達を見る。

「すみませんね、割って入って」
「お前は誰だ?」
「そういう君はファントムハイヴ伯爵だね。女王の番犬に勘付かれたならこの人も終わりだ」

レオンは降参だと言うように両手を上げた。これで全てが終わる。そう思った矢先、何か焦げ臭いニオイに気付く。アンダーテイカーに再び抱えられ、彼を見ると口と鼻を布で塞がれる。

「お前、城に火を付けたのか!」

火の手が急に上の階から、下の階からと伸びてきた。真っ黒な城を、真っ黒な煙が充満していく。レオンの姿もその煙によって見えなくなるが、最後に彼の声だけが聞こえた。

「君の事は少し惜しかったけど、これでさようならだ」

聞き終えた後、もう完全に彼の姿は見えなかった。火の回りは非常に早く、アンダーテイカーはすぐにまだ火が回っていない方へと走り出す。セバスチャンと伯爵も一緒だ。

「もう少し我慢するんだ、いいね?」

アンダーテイカーの言葉に頷いて、彼の首に手を回す。もう大丈夫、この腕の中にいれば。

To be continued…


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