惨劇マエストロ


とある喫茶店で私はとある人物を待っている。待つのはいつもの事だから別に慣れたものだ。カランと喫茶店の扉が開いてバタバタ走ってくるのが聞こえた。

「や、や、玲〜、遅刻した〜」
「いつもの事でしょ」

髪の毛も整えずにくしゃくしゃ。服装もどうでもいいのかテキトーだし。高槻泉こと、エトはいつもこんな感じだ。
エトとは作家として同期デビューで、そして共に24区で育った仲だ。そして――隻眼同士である。

「同じ業界に隻眼同士なんて他にいないだろうね」

そう言えばエトはいつもへらへら笑う。
アイスコーヒーをジュルジュル飲んでいること綺麗な女性がこの世界を転覆させようと目論んでいるなんて、誰も思わないだろう。

「大丈夫なの、最近……?」
「何が〜?」
「いくらエトでも白鳩相手にあまり無理しないでね」

どうもアオギリが劣勢に立っている気がしてならない。それもエトの仲でも計算の中なのか、肝心な事は私にも言わないから分からないけれど。彼女は世界を憎んでいた。だから変えようとして、作家になり、喰種の長となったのだ。

「……『誰もが胸と腹と筋肉のなかにいつの日か世界を転覆させる力を蓄えつつある』」
「なんだっけ、ソレ……あぁジョージ・オーウェル? 」

どうか無理はしないでほしい。私はこの世界は歪んだままでも構わないと思っている。
共に育った仲だ、エトがいなくなったら私は寂しい。

「で?玲は最近どうなのさ?」
「うん、来月にはまた新刊を出してもらえるみたい」
「そうじゃなくてー」
「えっ?」

ニヤニヤ、エトは笑う。
こんな笑みはなかなか見ないから、ちょっと怖い。

「男でもできたのかい?」
「な、なんで、そんな……っ」
「微かに違う匂いがするからね〜」
「え……!」

心当たりは先ほど会ったウタさん。少し話をしただけなのに、私から彼の匂いがするなんて。

「ちがうよ、そんなんじゃないから……」
「ふーん」

そう、ちがう。
だって――。

「私が人を愛せないの、知ってるでしょ」

怖い。人を愛してしまったら。
私の母のようになってしまったら。

「わたしは、玲には幸せになってほしいんだがね」

そんなの。私だってエトには幸せになってほしい。世界を変えることなんて考えず、作家として友として生きていてほしい。
でも、私達はその道をあえて行かない。
エトはそう言ってアイスコーヒーを飲み干し、喫茶店から出て行った。

喰種に長く続く幸せを掴むことは難しい。どこで白鳩に狙われ殺されるか分からない。大切なものが増えれば増えるほど生きづらくなっていく。
コンコンと窓を叩く音に顔を上げる。そこにはひらひら手を振るウタさんがいた。

大切な人を増やしたくはないのに――。
もう目の前で失うのは嫌だから。

To be continued…
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