01

 今思えばそれはこれから起こる事の予兆だったのかもしれない。



 ガヤガヤと人の声がする。中には豪快な笑い声や食器のような物がぶつかる高い音なんかも混ざっている。それらの音が気になった珠紀はゆっくりと固く閉じられていた青い瞳を開く。
 そこは二十畳程の広さがある薄汚れた畳の部屋だった。黴くさい座布団、それに穴が開いて隙間風が入りたい放題のボロボロの障子以外何もない殺風景な部屋の中、何本かある剥き出しの柱の一つに珠紀は寄りかかっていた。
 部屋の中ではボロボロで染みだらけの着物を着た男たちが所々欠けがあるお猪口を手に付近の仲間と語り、笑い合って和気藹々としていた。どうやら貴重な酒が解禁され、大広間で細やかな宴会が開かれているらしい。

 ああ、なるほど、そういう事なのね。
 今がどういう状況でここがどこなのか理解した珠紀はそっと目を伏せる。

ガシャーンと瓶や徳利が倒れた派手な音と「あああああ!」と男の絶叫が部屋に響き、部屋にいる者は騒ぎの中心となっている場所に注目する。
 まあ、だいたい騒ぎを起こしているメンバーは予想できるのだが。

「てめェッ!その酒は俺が取っといた酒だ!」
「なんじゃ、こりゃあわしが見つけた酒ちや!」
「貴様ら!いい加減に―――」
「うるせェぞ、てめェら―――」

 ああ、ほらやっぱり。
 黒いもじゃもじゃ頭の男が高そうなラベルの酒の瓶を胸に抱き込み、銀髪のくるんくるん頭の男が鬼の形相でその酒を奪わんとしていた。二人の傍に座っている長髪の男は自分が被害を被らないようにその場から少し離れて腕を組み、重いため息をついた。その男の対面に座る紫がかった黒髪ストレートの男はその争いに煩わしそうに舌打ちを放つ。
 まったく、良い年した男達が何をやってるんだか。その騒がしい男達の様子に呆れると同時に珠紀もふっと笑みが零れる。でも、それは珠紀だけじゃなくて、周りにいる男たちもそうだった。騒がしい四人の方を見て皆が楽しそうに愉快そうに笑っていた。

 この時間だけは特別だった。自分がいつ命を落とすやもしれない戦いへの不安と恐怖、亡くなった仲間への想いを一時的に蓋をして笑い合える時間。また、皆で酒を片手にこうやって笑いあえるようにあの時は必死で戦った。いつか来る終わりを目指して。

「いいぞ、いいぞ、お前さんらもっとやれー!」
「まったく、騒がしい奴らですね」

「……!」

 何処かからか聞こえる囃し立てる男とその様子に悪態つく男の声に珠紀は大きく目を見開き、ゆっくりと声の聞こえた方へ振り向く。

「あ…」

 思わず小さく、掠れた声が出た。そこには酒を呑みながらゲラゲラ笑う金髪の男と騒ぎの中心の男達の方を冷めた目で見る黒髪ストレートの男がいた。
 二人のいる場所に駆け寄り手を伸ばそうとするが、体が動かない。もちろん手も伸ばす事もできなくて、珠紀はただただ二人を見ているしかなかった。声が聞こえるのに、姿が見えるのに、そこにいるのに届かない。

「当たり前…か」

 珠紀は俯き、自らの格好を改めて目にする。珠紀が今着ている服はいつも着ていた服ではなかった。揃いの鉢巻もないし、守りの要の甲冑も着用してない。それどころかこの時代ではまだ主流ではない黒に黄色い線の入ったベストに白いシャツ、それから黒い短パンに黒タイツに黒のショートブーツを履いていた。この部屋の中では明らかに異様な格好であることは自覚している。だから、この格好の違いが意味するのは―――。

 キュッと珠紀は唇を噛み締める。

「おーい、どしたのマキちゃん。何か元気なさそうだけど」
「!」

 様子の可笑しい珠紀に陽気な声をかけてきたのは奪い取ったであろう酒瓶をゆらゆら揺らしながらこちらに歩いてくる白髪の侍―――坂田銀時だった。

「ほらほらそんな時にはこれに限るでしょ。俺のとっておきの酒だけど、一杯だけご馳走しちゃおっかなァ。いやァ俺ってばホントやっさしい。つーか、お前全然呑んでねーじゃん!酒なんて滅多に飲めねぇんだからもっと呑め!」
「ちょ、ちょっと銀時!」

 ペラペラと喋りながら手に持っていた酒瓶をドンッと床に置き、珠紀の隣にドサッと胡座をかいて座る銀時に珠紀は思わず呆然とする。
 固まる珠紀を他所に銀時は珠紀のお猪口に勝手に酒を注ぎ、ほれ、と酒の入ったお猪口を珠紀に突き出し、珠紀は勢いに圧されお猪口を受け取ってしまう。

「私、まだ未成年なんですけど」
「んなのここにいる奴らは気にしたことねーだろ」

 おら、ぐいっといけ、ぐいっと、と言う銀時に珠紀はため息をつく。
 この様子じゃ飲み終わるまで開放してもらえないんだろうな。酒は正直苦手だがしょうがない。
 お猪口を口に付け、目を瞑って中の液体を一気に飲み干すが口内に広がる辛口の日本酒独特の味に思わず眉間に皺を寄せぽつりと呟く。

「…まっずい」
「こんな良い酒の味が分からないだなんてマキちゃんはお子ちゃまだなァ。あれか、やっぱ大人の飲み物よりオレンジジュースの方が良かった?ごめんね今オレンジジュースないんだわ」


 酒が苦手な事を馬鹿にしてくる銀時に腹が立ち、眉間に皺が寄る。

「煩いわね。お酒弱い癖に調子に乗って飲みまくって翌朝そんなに良い酒をリバースさせて勿体無い事してる誰かさんよりマシだと思うけれど」
「オーイ、誰が酒が弱いだって。俺、酒弱くねぇし!ただちょこーっとほんのちょこーっと飲みすぎただけだから。弱いわけじゃないから。あれだよ、俺、山崎とか…」
「ハイハイ、分かりました」

 もう、ホントああ言えばこう言うんだから!
 珠紀がはあ、と大きなため息をつけば銀時が「おい、何ため息ついてんだよ」と突っかかってくるが「煩い、馬鹿銀時」と黙らせ無視する。無視だ。無視。珠紀がつーんとそっぽを向いていると今度は銀時の方がため息をついた。
 そしてくるんくるんの頭をガシガシと掻いた後、珠紀の頭にポンッと大きな手を乗せた。

「え…」



「あーとにかく、んな所で一人ちびちび呑んでねーで向こう行くぞ」

 そう言って銀時は珠紀に手を差し伸べるが、珠紀は悲しそうに笑い、首を横に振る。

「ごめんなさい、私はそっちには行けないの。行く資格がないの」
「はあ?資格ゥ?お前、何言ってんの?」

 きっと今のあなたには私が言っている事の意味が分からないだろう。





「おーい、マキちゃん」

 珠紀の意識の奥底で誰かが珠紀の名を呼んでいる。タイムリミットだ。徐々に眠気を感じるが、それに抗いながらも珠紀はこの光景を目に焼き付ける。二度と見ることのできないこの光景を。

 そして、最後に目の前の男を見つめる。彼の半開きの紅い瞳は珍しく真剣で、困惑していた。その珍しい表情が可笑しくて珠紀はクスリと笑みを零す。
 ねえ、銀時。あなたは―――。

「あなたは今の私を見たら何て言うのかな」

 怒るのかな。それとも軽蔑する?
 珠紀は眠気に身を委ねてそっと目を瞑る。
 この一時に別れを告げよう。
 




prev|next


ALICE+