私の彼氏はちょっとした有名人である。もちろんいい意味で。バレー部に所属し1年生で早くもレギュラーメンバー入り、高身長で顔もカッコイイし、女子の間では割と人気が高かった。そんな自慢の彼と付き合ってそろそろ1年が経つのだけど、部活が忙しくて中々恋人らしいことも出来ず、デート以前にメールのやり取りですらほとんどない。本当に付き合っているのかどうかさえ不安になる。でも、そんな悩みも私にとって苦ではなかった。
何故なら、彼がバレーをしている姿は本当にかっこよくて素敵だったからだ。いつも放課後に1時間程見学をさせてもらっているのだけど、一生懸命な彼を見ていると不満とか不安とか、そんなことも忘れて魅入ってしまう。だから別に学校で姿を見れればそれでよかったし、たまに向こうから何気ないメールを貰えるだけでも幸せだ。そんな友達みたいな関係の私たちは、数ヶ月ぶりに帰路を共にしていた。どうやら今日は部活が休みになったらしい。
「一緒に帰るの久しぶりだねー、飛雄」
「おう」
「自主練はいいの?」
「休むことも練習だってコーチに言われたからな。それに…たまには、お前と帰りたいし」
「!」
私より半歩だけ前を歩いていた飛雄は、びっくりした私を一瞬だけ見るとバッと顔を背けた。表情は見えなくなったけど、黒髪から覗く耳が真っ赤で思わず笑ってしまう。部活がないからといって、本当はバレーの練習をしたいだろうにわざわざ私と一緒に帰ってくれていると思っていた。でも、ちゃんと飛雄は私のことを考えていてくれたみたいだ。無性に嬉しくなって緩む頬の筋肉。この愛しさをどうやって発散させようと考えた結果、無防備な飛雄の左手を私の右手と繋ぐことにした。
「なっ?!お、お前っ」
「へへっ、飛雄と手を繋ぎたかったの!」
思えば1年も付き合っているのに、まともに手を繋いだことすらなかったような気がする。飛雄は真っ赤な顔で口をパクパクさせると、唇を真一文字に結んでぎゅうっと私の手を握り返してくれた。ちょっとだけ痛いけど、それすら嬉しいだなんて私は自分で思っていたよりずっと飛雄のことが好きみたいだ。掌から伝わってくる飛雄の体温に、バレーの練習で出来たマメとかタコの硬さとか、細くて綺麗なのに骨ばっている指とか、私の手をすっぽり覆うくらいの大きな掌とか。全部が私をドキドキさせる。ぎゅうっと胸のあたりが苦しくなるけど、とても心地のいいものだった。
「名前、公園行くぞ」
「え?」
「何か、用事とかあんのか?」
「ううん、ないよ!行こう、公園!」
ずっと口を真一文字に結んでいた飛雄が急に寄り道の提案をしてきたことに私はまたしても驚いてしまった。確かにこのまま家についてしまうのはもったいないと思っていたけど、まさか飛雄のほうから誘ってくれるなんて。もっと一緒に居たいし、私は飛雄の手をひっぱって通りかかった公園のベンチまで駆け足で向かった。そして二人で腰掛け、誰もいない遊具を見つめる。小学生たちはもう家に帰ってしまったようだ。
静寂に包まれたこの空間は少し寂しかった。飛雄は何も言わない。もしかして、お喋りしようとかそういうことじゃなくて一緒に遊ぼうということだったのだろうか。失敗したと恐る恐る飛雄を見れば、どこか緊張した面持ちで地面を睨みつけていた。もしかして、怒ってる?
「ご、ごめん飛雄!」
「は?何がだ?」
「ブランコがよかった?それともシーソーがよかった?」
「何の話だ?」
飛雄はキョトンとして私の言葉に首を傾げる。どうやら遊びたいわけではないらしい。早とちりしたことを何でもないと誤魔化した私を、飛雄は笑うでもなく呆れるでもなくただ黙って見つめてくる。本当にどうしたんだろう。もしかして、別れ話だったりして…と、少しでも悪いことが思い浮かぶともう止められなかった。嫌だな、私は飛雄と別れたくないのに。でも、飛雄がもう私を好きじゃないというならそれを受け入れるしかない。他に好きな人が出来たとかだったらどうしよう。段々と涙腺が緩んでくるのを何とか堪えていると、飛雄がついに言葉を発した。
「部活の先輩から言われた」
「…?」
「1年も付き合ってんのに、その…キ…き…」
「き?」
「キス、もしてねぇのはオカシイって!」
へ?と間の抜けた声を上げ、ポカンと口をあけたまま固まる。今、なんて?キス?オカシイ?てっきり別れ話かと思って覚悟を決めていたのに、全然違うことじゃないか。飛雄はちょっとだけ頬を染めて、この世の終わりのような顔で頭を抱えている。
そんなことで悩む飛雄が可愛くて仕方ない。あはは、と声を上げて笑う私を弱弱しく横目で睨みつけてくる仕草も迫力なんてなくて可愛らしいものだった。飛雄も気にするんだ、そういうこと。
「タイミングなんて人それぞれだし、可笑しくはないと思うけど…ほら、私たちってそんな雰囲気とか全然なかったからさ!」
「お前は…、したいのか?その、き、キス…」
「えー、そりゃー出来るなら…好きな人に触れたいって思うし」
言ってて恥ずかしくなってくる。でも、本心だった。とりあえず、別れ話ではなかったことにホッとしていると飛雄はガシっと私の肩を掴む。いきなりのことに驚き、身構えると恐い顔をした飛雄が私を凝視していた。やっぱり怒らせてしまったのだろうか、とちょっとだけビクビクしてしまう。そんな私にお構いなく飛雄はさもバレーするかみたいなノリで「キスするか」と言う。待って、さっきまであんなにピュアな姿を見せていたじゃない!
「ちょ、ちょっと待って!いきなり?落ち着こう!?」
「さっきしたいって言ったじゃねぇか」
「でも、ムードとかさ、色々あるよね?」
「なんだよ、ムードって。今じゃダメなのか?」
「そうじゃないけど、飛雄は…私とキスしたいって思ってる、のかなって…」
さっきから試合中みたいな顔をしてるし、私は飛雄とキスしたくても飛雄はそう見えない。義務みたいに思われていたら嫌だ。そんなの悲しい。ここで思ってねぇ!なんて言われたらショックで立ち直れないけど…。私が俯くと、肩を掴む手の力が緩まった。そしてそのまま背中に腕が回って飛雄の肩口に頭を押し付けられる。初めて飛雄のぬくもりに包まれて嬉しいやら恥ずかしいやらで心臓がおかしいくらいドクドクといっていた。今日一日で進展しすぎて心臓が持たないんじゃないだろうか。
「俺は…、ずっと名前に触れたかった。でも、どうしたらいいか分からなかった」
「ほんと?」
「嘘なんかつくか、ボゲェ」
「ご、ごめん」
「はぁ…よくわかんねぇんだよ、バレーみたいに思ったように出来ない。お前も、付き合う前と変わんねぇし」
思いきりため息をついた飛雄は、私を身体から離すと伏目がちに「キスしてもいいか」と尋ねてくる。いつも私を見下ろしていた飛雄が、今度は上目遣いで私を見つめてくるものだから頷くしかない。好きな人からそんなことを言われて断るなんて正気の沙汰じゃない!ちゃんと飛雄の方に身体を向けると、私は高鳴る胸を押さえて目を瞑った。
「じゃあ、いくぞ」
「は、はい…」
何の確認なんだろう。宣告されると妙に緊張するけど、ついに飛雄とキスするときがきたのかと、ある意味感動さえ覚えた。柔らかいのかな、温かいかな、と期待すれども全然触れた感触がしない。気配はすぐ近くにあるのに何故?心配になってうっすらと目を開ければ、数センチ先で目を瞑る飛雄の顔が見えた。
「飛雄?」
「やべぇ、お前の唇の位置が分からねぇ」
そりゃお互い目を瞑ってたら分からないよ!と思わずツッコミを入れてしまった。まさかここで飛雄の天然を発揮されるとは。ムズイな、と呟く飛雄は可愛いけどアホなのか。私が飛雄に目を開けるように言うと、彼は納得したらしい。うっし!と気合いを入れて再度、臨戦状態に入った。これってキスしようとしてるんだよね?
「名前、目瞑っとけ」
「ん」
「じゃあ、いくぞ」
今度こそ、とぎゅっと目を瞑る。すると今度はガツっと歯がぶつかる音と衝撃が私を襲った。痛みに目を開ければ飛雄も口元を押さえている。どんな勢いで顔を近づけてきたんだろう。確かにキスはしたんだろうけど、それどころじゃない。手を離した飛雄の唇に少しだけ血が滲んでいた。痛そうだ。まあ、これはこれでいい思い出になったと思うことにしよう。
「悪ぃ…、距離感が分かんなくなった」
「いいよ、気にしなくて。私、嬉しかったから…」
「名前…」
初めてのキスは痛かったけど、飛雄とならどんな思い出だって大切なものになる。お互い見つめあって笑いあって、今度こそちゃんと…。私がもう一度目を閉じると、飛雄は全然気付いていないようで「帰るか」と立ち上がる。ガクっと本気でズッコケそうになった。今、まさにやり直しの雰囲気だったのに?!いつまでも固まっている私に、飛雄は手を差し出してくる。何かをやり遂げたような清清しい顔をしていた。
「か、帰るの?」
「もう暗いだろ、送る」
「ちょっと待ってよ、あの、そのさぁ」
「…?」
「せ、せめてもう一回!」
このままでは帰れない!と飛雄の手を掴み、引っ張る。バランスを崩したところを私からと思ったけど、飛雄の踏ん張りが思ったより強くてびくともしなかった。ちゃんと、飛雄とキスがしたい。また明日からバレー一色になるんだろうし、しばらくこうやって飛雄と長い時間一緒に居ることも出来ないんだから。でも、飛雄は女心というものが分かっていないから私の今の気持ちは伝わっていないんだろうな。あんまりしつこくして飛雄に嫌われたら意味がない。冷静になり、謝りつつ顔を上げる。
「名前」
「とび…」
ふわっと一瞬だけ。それでも温かくて柔らかかった。今のって、やっぱりそうだよね…間違いなく飛雄の唇が私の唇と重なった。「今度はちょっと遠かった」と口元を腕で覆い、茹蛸のように赤い顔を背ける飛雄をみて確信。私もつられて顔に熱が集中した。
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