※幻だとしても続編


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よく見る夢がある。人類が火星にゴキブリを退治しに行くという、まるで映画にでもなりそうな夢。そのゴキブリというのが、黒くて小さなカサカサ動く虫じゃなくて人間サイズで人を簡単に殺してしまう程凶暴な生物なのだ。ボディービルダーみたいに筋肉ムキムキで、色んな能力を使って襲ってくる。夢だと分かっていても、その恐怖はやけにリアルで毎度目が覚めた時は手や足が震える程だった。

そして今まさに、私はその映画のような夢を見ている最中だった。ゴキブリが私の手足をひっつかみ、引きちぎろうと力を込める。ポキリといとも簡単に折れる骨の痛みに私は泣き叫んでいた。
夢なら早く覚めて!どれだけそう念じても、悪夢は私が死ぬ場面まで終らないのだから勘弁して欲しい。おまけに、慶次が「死ぬな!」と悲痛な声で私の名前を呼ぶことも、胸が痛かった。

「名前!」
「慶次…痛かった…」
「名前、大丈夫か?顔が真っ青だな…また、あの夢見たのか?」
「慶次」

息も乱れ、冷や汗をダラダラと流して飛び上がった私を慶次が心配そうに覗き込む。どうやら私が魘されていた声で起きたらしい。肩で息をする私のおでこに手をあてて熱はないみたいだな、と言う慶次に安心感がこみ上げた。
何だか疲れてしまって、慶次の胸に顔をうずめ腰に手を回せば優しく頭を撫でられる。心地よいリズムと手の重みは、私の心を落ち着かせるには充分だった。
次第に私の汗が慶次の着ていた服に染み込んでいき、ぼんやりと洗濯しなきゃなと思う。さっきまでの夢とは違い、穏やかな世界だった。

「私、生きてる?」
「生きてるよ」
「よかった」

死んだ所で目が覚めるものだから、本当は夢が現実で今この状況が夢なんじゃないかと心配になってくる。私が腕に力を込めて問えば、慶次は少し笑いながら答えてくれた。この夢の話をしても、慶次はいつも笑っていた。
地球を救うために火星に行って、慶次を守るために私が死ぬのだ。何度も何度もそれの繰り返し。何とか私も生き残れないものかと、必死に想像力を働かせてみても結果は同じ。バッドエンドしかない。
おかげで通常サイズのゴキブリすら恐怖に足が竦んで苦労している。慶次と結婚して、子供が出来て、お母さんになったらゴキブリに負けているわけにはいかなくなるだろう。でも、姿をみるだけで夢の中の巨大人型ゴキブリが脳裏に過ぎって動けなくなる。そのことも慶次に言ってみたけど、やっぱり笑われた。

「でも、そこまでリアルだと前世で何かあったのかな」
「前世…?」
「だって、何百年か前までは本当にいたらしいぞ。その巨大ゴキブリ」
「え?」

慶次の何気ない一言に驚き顔を上げる。ゴッと私の頭が慶次の顎にヒットして、お互い痛みに言葉を失い数秒間。涙目で顎をさする慶次が可愛いな、なんて思いつつごめんと謝って身体を離した。温もりが離れて少し寂しいから慶次の右手を握って、話を戻す。

「本当に火星に行って、巨大ゴキブリと戦ってたって何かの特集で見たよ」
「やっぱり私の夢は本当にあったことなんじゃないの?!」
「それはさすがにないな…」
「即答…」
「それより、昔流行ってた病気あっただろ?」
「なんだっけ、エイリアンなんとかウイルスだっけ?」
「エイリアン・エンジンウイルスな」

握っていた手の指を絡めながら、慶次はまた笑う。夢の中の慶次は悲しい顔か恐い顔ばかりしていたから、笑顔を見ると私は凄く嬉しい気持ちになった。
慶次の話によれば、何百年も昔は本当に火星に行ってその巨大ゴキブリと死闘を繰り広げていたらしい。その当時、謎のウイルスが流行りたくさんの人が亡くなったということは歴史の授業で習ったので知っていたけれど、まさかその原因が火星のゴキブリたちのせいだとは知らなかった。教科書には、無事ワクチンが作られたとしか書かれていなかったし。
ただ、そのゴキブリの姿が私の夢に出てくるそれと同じかは分からない。慶次は昔話だと言うけど、やっぱり他人事だとは思えなかった。

「でも、もし私たちがその何百年も前に生きていたら本当にゴキブリと戦ってたかもしれないよ?」
「はは、だったら俺たちは地球を救ったヒーローだ」
「信じてないでしょ、慶次」
「そんなこと…あるかな…」

ちょっと悪戯っぽく笑う慶次にいじけて、近くにあった枕を投げるといとも簡単に受け止められてしまった。

でも、もし、本当に前世がそうだったら…。

慶次と出会ったのは、中学の入学式だった。慶次は離島から通っていたし、今まで会ったこともなかったはず。なのに一目見た時から本能でこの人を好きだと思った。一目惚れというような衝撃もなかった。生まれてくる前から、ずっと好きだったような気さえした。何故か鬼塚慶次という人物の人柄も理解していて、やっぱり思った通りの人物だったときはさすがに自分に疑問を持った。そして同時に運命を感じた。言ったら笑われるだろうけど。

「何?名前」
「慶次は、私のこと何で好きになったの?」
「唐突すぎる…!」

うーん、と照れくさそうに視線を泳がせる慶次。繋がったままの手に力がこもる。返答に困り、口をパクパクさせてみたり頬をぽりぽりとかいてみたり、私の手をにぎにぎと揉んでみたり…慶次の羞恥心は今にも爆発しそうだ。しばらく沈黙が流れ、耐え切れずに私が噴出すと降参だよと項垂れた。慶次も私に運命を感じてくれてたらな、と少し期待していたけれど先程の態度がとても可愛かったのでまあいいか。

「何か、もう一眠りしたい気分…慶次も寝よう」
「俺は走りに行く時間なんだよ」
「えー、あと少しだけ!今日は日曜なんだからさー…起きたら私も一緒に走るから」
「仕方ないな…」

ぼふん、とベッドに寝転んだ私の頭を一撫ですると、慶次も横になる。またあの夢を見たらどうしようと思ったけど、あれが私の前世の話だったなら、怖くないかもしれない。だって、こうして生まれ変わってまた慶次と出会って、恋をして、隣に居られる。死んでしまった悲しいお話から、生まれ変わって一緒になる幸せなお話になるということじゃないだろうか。ふふふ、と嬉しくなって慶次に擦り寄る。くすぐったいと身を捩った慶次にどうしようもない愛しさが溢れそうだった。

「名前、」

まどろみの中、慶次が優しく名前を呼ぶ。返事をしたつもりでいたけれど、声に出ていなかったらしい。私の頭を撫でながら、慶次は小さく呟いた。

出会う前から好きだった、と。
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