小屋
好き勝手に書き散らす自由帳
(←戻る)2022/05/17 22:09
無題
澪に落とし込めるところを落とし込んでみた結果
いいないいな にんげんっていいな
部屋の隅っこに放置された、ミの音が壊れて出なくなったおもちゃのピアノ。たった2オクターブしかないそれを好んで遊ぶ子供は他にいなくて、いつもひとり占めしながら小さく小さく内緒ごとのように奏でるのが澪は好きだった。
少しの大人とたくさんの子供たちで暮らすそこは何となく居心地が悪くて、おいしいおやつも温かい布団も知らないのはきっと普通じゃない。でもどうしようもないのが現実というやつなのだと、少女は幼いながらに理解していた。
理解していたが、それでも自分の人生をこんなものだと決めつけるには彼女は些か素直ではなかった。
もっと辛い人がいるだとか、自分は恵まれた方だとか。そんな殊勝なことはこれっぽっちも思わなかったけれど。
たくさん勉強して、たくさん頑張って。これ以上なく幸せになってやるのだ。
今に見ていろ。いるかも分からない神さまとやら。
***
きっかけは、給食というものに甚く感動したことだった。
日本のご飯のなんと美味しいことか。ご飯ってこんなに美味しいんだと、小学一年生、初めての給食を前に澪はキラキラ目を輝かせた。
もりもりと平らげる姿はそれはそれは奇妙に映っただろう。3回おかわりしに行った。しかし許してもらいたい。温かくて彩もよくて栄養バランスばっちりで。そんなものを少女はその時生まれて初めて目にしたのだ。
そしてこう思った。
日本の食は素晴らしい。自分も将来は食を守り支える仕事に就こう。
彼女は齢わずか6にしてしっかりと現実を見ていた。
がむしゃらに勉強した。試験にも合格した。配属は希望通りじゃなかったが、それはそれとしてひたすらに働いた。その結果。
「……また貴女ですか」
「それはこちらの台詞です」
国外で3回、国内で13回。この男と出くわした回数である。ちなみに期間は半年だ。
太陽を思わせる金色の髪に海をはめ込んだかのような瞳。整った顔立ちに加えて、細身にも鍛えられているのが分かる長身に褐色の肌。10人いれば12人振り返るような美丈夫だ。つまるところイケメンというやつである。
初めて見たとき、まるで自分と正反対だな、と澪は思った。
どこかは分からないが、彼女には異国の血が流れている。夜空に輝く月のような銀色の髪、暖かな春を思わせる珊瑚色の瞳。小さく華奢な身体と陶器のように白い肌。幼い頃は苛められる理由になったりして、そこそこにやり返したりもしたものである。完全に余談だが。
金色と銀色と。対照な2人が初めて顔を合わせたのはとあるバイオ研究所だった。
はた、と目と目が合った瞬間にお互い悟った。あ、敵ではないな、と。
「ちなみにお聞きしますが、こちらのデータはもう入手済みで?」
「そうだと言ったら?」
「大野薬工のロシアとの貿易記録」
「手を打ちましょう」
敵ではないが、それだけだ。それだけなのだが、なんとも言えない関係がこの半年間続いている。
USBを投げれば危なげなくキャッチされ、代わりにチョコレートの箱を差し出された。季節限定、しかもコンビニでしか販売されていないものだ。
「甘いものが嫌いじゃなければ」
「ありがとうございます」
嫌いどころか大好物である。素直に受け取ればにっこりと胡散臭い笑顔を浮かべて背中を向けた男を見送った。
手のひら大のその箱を開けてみれば、ご丁寧にも1つだけ抜き取られたチョコレートの隙間にメモリーカードが鎮座している。この1つは安室が食べたのだろうか。どうでもいいことを考えながら澪も1つだけ口に放り込んだ。
20220517
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