小屋

好き勝手に書き散らす自由帳
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2022/09/17 23:42

ドクスト2話
小学一年生



「楽最近のよのよ鳴かない?」
「鳴くて。先生の影響受けたみたい。いいじゃん可愛くて。ねー?」
「いいのよ!」
「ほら可愛い」

 楽の両親は忙しい人たちだった。
 故に彼女は祖父母に育てられていたが、それに対して楽が負の感情を抱いたことはない。祖父母も、たまに顔をあわせる両親も、その両親が連れてくる仕事仲間だという大人たちも、これでもかという程の愛情をぶつけてきてくれるからだ。他のご家庭と少しばかり違うという自覚こそあれど、全くもって不満など無かった。
 両親が贈ってくれた音楽室に籠っているか、千空の実験にくっ付いていくか。最近の楽の放課後は主にこのどちらかである。ただ毎週木曜日だけはピアノのレッスンが入っているため、学校から帰ってランドセルを置いたら先生の家まで自転車を走らせる。3年目の付き合いになるこの先生もまた、楽にとって厳しくも甘やかしてくれる大人の1人だった。

「そこは早めに指を潜らせておくのよ、譜面にも書いてあるでしょう。何その無茶な指使い」
「こっちのが弾きやすいのよ」
「本気? これも個性かしら……楽がいいならいいけど。普通の指使いも1回やってみなさい、何事も経験よ」

 自分の後に誰もレッスンが入っていないのをいいことに、時間を気にせず好きなだけ入り浸る。先生とわちゃわちゃして過ごすこの時間も楽にとって大層お気に入りだった。
 今日もまた満足するまで指を動かしてきた楽は、元気よく手を振って先生の家を後にした。千空がいればお元気いっぱいかよと言われそうなご機嫌具合である。
 自転車が壊れてしまったため歩きではあるが、毎日小学校まで歩いていることを考えればそこまで苦になる距離でもない。教科書が何冊か入った鞄を背負う足取りは軽かった。

「お嬢ちゃん、ちょっといいかな」
「?」

 日が長くなってきたとは言え思う存分ピアノを弾き散らしてきた後だ。そこそこに薄暗くなってきた時間帯、住宅街をてくてく歩いていた楽は、前方からかけられた声に顔を上げた。
 ぱちりと目が合う。そこには知らない男性が1人立っていて、人のよさそうな笑みを浮かべていた。

「神さまって信じる?」
「え、」

 不審者に気を付けましょう。即座にその言葉が脳裏に浮かんだ。楽はきちんと学校の先生の言うことを聞くのだ。ついでに千空の科学の世界には神はいないという発言も思い出した。
 がっちりと固まった楽に一瞬で警戒心が高まったのが分かったのか、不審者(仮)は慌てたように両手を胸の高さで振る。

「ごめんごめん、びっくりさせたね。実はちょっと道を訊きたくて」
「みち」

 たくさんの愛情のもとすくすく育った楽は基本的にお人よしである。如何にも困ってます、という顔でそう言われると、不信感を抱きながらも困っている人は助けなければという使命感が出てきてしまった。
 話を聞こうという気持ちが生じたのを感じ取ったのか、目の前の男がにっこりと笑う。

「ここら辺って郵便局はあるかな?」
「郵便局はあっちの大通りを北に1kmくらい行ったところにあります」

 ぎゅっと鞄の肩紐を握り締めながらも答えた楽に不審者(仮)の方が呆気にとられたようだった。
 見た目小学生か否か、といった少女が思った以上にしっかりと返してきたのが予想外だったのだろう。気を取り直したようにまた口を開くのを見て、楽の内心ではどんどんと不信感が膨れ上がる。

「そっかそっか。出来れば案内してもらえると嬉しいな」
「もう閉まってるから明日の方がいいと思います」

 それでもどうしても親切心が抜けず無下に出来ない。
 そんな少女を嘲笑うかのようにぐいぐい来る不審者(仮)に楽は泣きそうだった。どうしよう、人には親切にしないといけないけれど、不審者だったら自分の身が危ないのだ。お婆ちゃんも言っていた、知らない人についてっちゃいけないって。
 幸い辺りは住宅街で、人通りこそないものの人気が全くないわけでもない。それがまた楽の判断を鈍らせる。

「あー確かに。じゃあさ、地図に印つけてくれない? 車に地図があるからさ、ちょっと一緒に来てよ」

 やっぱり不審者(断定)だ。
 そう思ったときにはやんわりと腕を掴まれていて、泣きそうで怖くて声が出なかった。
 どうしよう、どうしよう。別に強引に引っ張られているわけではないけど、だからこそ大声をあげて振り払っていいものか分からない。
 いや、そんなことではない。単純に怖いのだ。知らない人男の人になんとなく逆らえないこの雰囲気が。

「大丈夫だよ、すぐそこだから」

 何も大丈夫ではない。
 がちがちと歯が震えてきて、目いっぱいに溜まった涙が決壊しそうになった時、この数週間で大層聞き慣れた声が耳に届いた。

「楽? 何してんだオメー」
「!」

 ツンツンと重力に逆らった髪、お世辞にも良いとは言えない口調。
 自分と変わらない歳の、身長だってそんなに変わらないその存在が、今楽にとって何よりも神さまみたいに思えた。



20220917
Category : ドクスト
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