小屋

好き勝手に書き散らす自由帳
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2023/01/07 21:37

2023初書き
栗花落 和香
弁当屋を営む老夫婦の孫娘
いつぞやの相方のネタがずっと頭から離れなくて苦しいままイベントでパーンしたので勢いで書いてしまったシリーズ
 そこは老夫婦とその孫娘が営む、小さな弁当屋『黒実屋』だった。
 早朝、季節によってはまだ薄暗い時間帯からお八つ時まで開いているそのこぢんまりとした店は、朝食や昼食を買っていく人でそれなりの賑わいを見せている。忙しなく買い物だけして行く者もいれば、店前の長椅子でのんびり会話を楽しむ常連同士など、働き盛りから家族連れまで客層は様々だ。
 天領奉行に勤める鹿野院平蔵もまたここの弁当をよく買いに来る人間の1人だった。味がいいのは勿論、老夫婦も看板娘も人がいいと言うか何というか、店に漂う穏やかで優しい空気が心地よくて気に入っている。

「やっほ。今日のお勧めなに?」
「平蔵さん」

 昼時をそこそこに逃してしまった時間帯、腹は随分と前に空腹を訴えることすら止めてしまったけれども。こんにちは、と微笑む看板娘こと栗花落和香。この笑顔だけで疲れなど吹っ飛ぶというものだ、というのは職場の齢四十程になる男が言っていたのだったか。
 まぁ否定はしないよね、なんて思いながら気安く挨拶を交わす。名前で呼んでもらえる程度の関係性を結ぶくらいには通っている自覚があった。美味いし、安いし、なんとなく居心地もいいし。奉行所の食堂とは天と地ほどの違いがある。
 大体何を買っても当たりな為、最近はこうやって会話のネタも兼ねて彼女にお勧めを尋ねることも多かった。自分では選ばないものを勧められるのも面白いし、そうですね、と前置いてから紡ぎ出される和香の落ち着いた声を聞くのは小さな楽しみでもある。
 今日もまた、彼女は少しだけ考えて。きょとん、と少しばかり見つめられた気がしたのは果たして気のせいか。

「トマトと豆腐の卵とじ丼は如何です? 加熱することで凝縮されたトマトの旨味と甘みを豆腐と一緒にふわとろの卵で優しく包んだ一品です。鶏肉を加えてボリュームを出すことも出来ますよ」
「へぇ、聞いてたら食べたくなっちゃった。それ1つちょうだい、鶏肉も入れてほしいなぁ。昼休み逃してもうお腹ぺこぺこ」
「承知しました。豚カツ一切れ乗せときますね、お爺ちゃんには内緒にしてください」
「やった! たまには真面目に働くものだね」

 手渡された弁当は温かく、優しい香りが鼻腔をくすぐる。
 それにつられたのか、大人しくしていた筈の腹が思い出したように空腹を訴えて。これはもう今すぐ食べるしかない、だってこんなにも美味しそうだ。もちろん黒実屋の弁当は冷めても十分美味しいが、温かいものを温かいうちに食べる幸せがこの世にはある。
 お疲れ様です、お気をつけて。そんな言葉に見送られて店を後にした平蔵は、人気の少ない場所を求めてふらりと町外れまで赴いた。店先の長椅子でもよかったし、なんなら奉行所に戻れば茶の一杯でも淹れられたのだが、なんとなく静かに食べたい気分だった。
 浜辺の近くまで来て、大きめの岩と木とを見比べて木に登ることにする。片手に弁当を持ちながら器用にするする登ると手近な枝に腰かけて、海を眺めながらぱかりと蓋を開ける。
 ふんわりと鼻を通る出汁の香り。和香が言った通りちょこんと一切れ乗っている豚カツを見てくすりと笑った平蔵は、まず鶏肉とトマトを白米と共に一口頬張った。

(美味い……)

 じゅわっと溢れるトマトの旨味と柔らかな鶏肉を卵が包み込み、米とよく合う。もう一口頬張れば熱い豆腐とシャキシャキしたタマネギの食感が口の中を楽しませた。
 腹の中に落ちていったものが、じんわり身体の中から熱を作り出す。ぽかぽかと体温が上がってきて、ほぅ、と平蔵は息をついた。
 気付けば豚カツに手を付けないまま半分を食べ進めていた。
 腹は減っていたし、結構疲れてもいた。少しばかり仕事に熱中していたせいで昼を逃したどころか朝も食べていなかったし、昨夜は寝てもいない。さすがにきちんと休憩しようと思って買いに行ったのがこの弁当だ。
 別にこれくらいで胃腸がやられるほどやわではないし、今目の前に指名手配犯が現れたら何時間でも追い掛け回せる。
 だが、何かを察した和香の優しさが確かに感じられた。それはとても心地よくて。

(うん、やっぱいいよね)

 美味い美味い、とひとりごちながらカツも口に運ぶ。出汁を吸って少しくたっとした衣と肉汁が口内を満たして、そこに半熟卵と共に白米を掻きこめば満足感に溜息が出る。
 あぁ、熱い茶が飲みたい。
Category : 原神
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