目が覚めた。
真っ暗な視界の中、一瞬何がなんだか分からなくなる。瞬きを3回繰り返して、自室のベッドの上だということを彼女はようやく理解した。
夢をみていた。お母さんというものを彼女は知らなかったが、きっとこういう存在なのだろうと想像を重ねたものが時折希子の頭を優しく撫でそっと抱き締めた。ふわふわとした気持ちが夢の終わりと同時に弾け、なんとなく虚しい気持ちになる。
昔は父親に泣きついたこともあった。父はいつも少し困った顔をして、それでも希子が落ち着くまでずっと背中を撫でてくれた。ごめんな、そう言われる度に罪悪感に襲われて。お母さんを失って辛いのはきっと彼の方なのに。希子は母親の顔を写真でしか知らなかったから。
写真立てをそっと手に取る。収まっている2枚の写真。赤ん坊の自分を抱いた両親が幸せそうに笑っているものと、今より少しだけ幼い自分が父親と頬をくっつけて満面の笑みを浮かべているもの。
この写真が更新されることはもう無い。


時計を見ると、まだ夜明けまで大分時間があった。
そもそも、もう夢を見たからと泣きつくような歳でもない。それでもなんとも言えないこの気持ちはきっと寂しさというもので、自分自身に苦笑した希子はベッドから抜け出した。
軽くシャワーを浴び、携帯とトリガーだけを引っ掴んで部屋を抜け出す。生憎お化けが怖いなどという可愛らしい性格はしていないし、夜中とはいえ夜勤の隊員や職員が少なからずいる筈だ。


寂しい。そう、きっと今自分は寂しいのだ。
誰かに会いたい、甘えたい。そんな幼稚でちっぽけな気持ち。誰でもいい、いや、多分本当は誰でもいいわけではないのだけれど。
真っ暗な廊下を進んで、幾つかの階段と扉を過ぎて。本部へと足を運べば人気こそ無いものの建物の中は明るく照らされていて、蛍光灯の白が眩しくて希子は目を細める。
気の済むまで射撃訓練でもしていようか。ポケットの中の固い感触を右手で弄びながら考えていると、背後から足音が近付いてきて声をかけられた。


「お、姫じゃねーか」
「太刀川さん?お疲れ様です」
「お前はほんと第一声が固ぇなー」


からからと笑う自隊の隊長は見るところ酔ってはないようだ。希子の視線に気付いたのか、飲んでねーよと彼自身から否定の言葉が来る。
なんでも深夜の防衛任務だったのだとか。太刀川は1人でも十分に一隊分の働きを熟してしまうので、ふらりと隊員の知らないところで任務に出ているのは珍しいことではない。
見るからに部屋着ですといったラフな格好で出歩いている希子の姿に今度は太刀川が首を傾げる。一度オフモードになったら部屋から出ない彼女にしては珍しいことだった。
そもそもこんな時間に防衛任務以外で出歩いている方がおかしいのだが。試験期間にロビーに集まった徹夜組が揃って悪あがきをしているのは別にして。


「こんなとこでどうした?便所か、太刀川さんがついてってやろうか?」
「心強いです、でもまだ怖いので風間さんも呼んでいいですか?」
「チョイスが中々にえげつないな」


わしわしと頭を撫でられる。
大きな手。少し乱暴で、でも痛くはない。
その温かさに無意識のうちに頬が緩む。大人しく撫でられている希子に、考えるように少しの間手を止めた太刀川は今度は両手でわしゃわしゃと髪の毛を掻きまわした。


「何かあったら言わないと伝わんないぞ?」
「でも太刀川さんは甘やかしてくれるんですね」
「そりゃウチの可愛い末っ子だしなー」


お前がこんな分かりやすいのも珍しいな、と言いながら髪を梳かれる。
手付きも、声も、表情も。全てが優しくて、温かくて。緩んだ頬が戻らないまま、気付けばぽたりと片方の目から水滴が零れ落ちた。
ぽたり、ぽたり。一度落ちたそれは順番待ちをしていたかのように次から次へととめどなく落ちてきて、目の前がぼやけて見えなくなると同時に頭の上にあった手がゆっくりと背中に回って。
力いっぱい抱き着けばその分ぎゅっと抱き締められる。しっかりした腕、信頼できる温度。安心する。


「…太刀川さん好きですー」
「知ってる。このまま惚れてもいいぞ」
「それはないですー」
「はっはっは姫は正直だな」


ぐずぐずと情けない鼻声を笑い飛ばして、こちらが満足するまで抱き締めて背中を撫でて髪を梳いてくれる。惜しみない愛情を与えてくれて、不安になる隙間が全くない程強い隊長。
恵まれている。心の底から温かい気持ちが沸き上がってきて、ぐりぐりと希子は額を太刀川の胸へ擦りつけた。




20161218