「迅さん」
例えば、こんな静かな真夜中。あぁ、なんて聡い子なんだろうと思う。こちらになんか気を遣わないでいいのに。
一つ溜め息をついて振り返る。夕飯時楽しそうに笑うこの子を迅はずっと眺めていた。つまりそれは今この時のことが視えていたということに他ならないのだが、それでも逃げなかったのは近かれ遠かれ捕まることが分かっていたからだ。
「こーら、子供は夜更かししちゃ駄目だって教えたろ」
「迅さんもまだ子供だよ。この国では二十歳まで未成年なんでしょ、私知ってるよ」
「……おまえほんと口が回るようになったね」
「ふふー、おかげさまで」
温かいカップを渡されたので大人しく受け取る。最近は日に日に気温が下がり、特に夜は中々冷え込む季節になってきた。
二人並んで見上げた先には満月が輝いている。人工的な光の少ないここでは見事な星空が広がっていて、迅がちらりと目を向けた先で希子は静かな表情でそれを見つめていた。
暫く黙って空を見上げていたが、希子がぽつりと沈黙を破る。
「迅さん私に何か言いたいことあるでしょ」
「そうくるか。随分また直球なことで」
「言いたくないならいいよ、気のせいにするから」
「あー……なんて言えばいいかな」
言葉を濁してボリボリと後ろ髪を掻く。
迅の趣味は暗躍だ。こう面と向かってというのはなんともこそばゆいというか、気恥ずかしいというか。
じっとこちらを見つめてくる希子は、本当に迅が言わないなら言わないで構わないのだろう。こちらが言いやすいように場を作ってくれているだけなのだ。
些か方法が直球すぎる気もするところがまたどこまでも希子らしい。
「おれはさ、希子が太刀川隊でのこととか嬉しそうに報告してくれるのが嬉しいわけ。毎日楽しいばかりじゃないだろ、でもおまえはいつだって楽しそうに話してくれる」
「楽しいよ。それは色んな人たちと、迅さんのおかげだよ」
「おまえはまたそうやって真っ直ぐなんだからもう」
夕飯前とは違い、静かに優しく頭を撫でられる。
「……おまえを玉狛から出したこと、申し訳なく思ってるんだ」
「……そうだったの?でも」
「ストップ。分かってるよ、おれが意味も無くそんなことしないって言ってくれるんだろ」
人の未来を視ることが出来る迅は、幾つもの未来を読んで選んでいつだって最善へと導いてくれる。そうなるよう努力している。それを希子は知っている。
もう二年半前になるか。本部転向を言われたときは嫌じゃなかったといえば嘘になるが、組織に属している以上その組織の命令には従うものだ。そのくらい当時の希子にも理解できた。
何より迅に言われたから。迅が言うなら必要なことなのだ。そして迅が希子のことを大切にしてくれていることは誰よりも希子が知っていた。
「希子が分かってくれてるのくらい知ってるさ。だからおれが謝ったら絶対許してくれるし、おれのせいじゃないって言う。それを分かってて謝るのはずるいだろ。だから今まで言わなかったんだけど、事情が変わった」
「なにかあるの?」
「多分だけど、玉狛に新人が入る」
「しんじん」
思わずといったように希子はぽかんとする。
つまり、迅が言いたいのは。
「……嫉妬するなってこと?」
「語弊があるけどね!ほんと情緒がわかるようになったよねおまえ!」
「ふ、ふふ、そっか。大事にされてるね私」
「……大事だよ。おれも、玉狛のみんなも、希子のこと大事だ」
ボーダーという組織の中で、本人からしたら追い出されたとも思えるような形で玉狛を去った希子が、古巣に新しいメンバーが増えたと聞いたら面白くはないだろう。
自分は玉狛にいられなかったのに、何も知らない新人が楽しそうに日々を過ごしているのは面白くない。そう思うのではと心配しているのか。
もし、そのときが来たとして。迅に、小南に、玉狛の面々に、こんなにも大切にされているのだから、負の感情を抱くなんてただの我が儘だ。迅が心配する必要など無いのに。
そんなことを考えていると、頭上の手がとんとんと軽く頭を叩いてきたので迅の方を向く。
「希子、おまえはよく頑張ってる。頑張ってるんだよ」
「そうかな」
「あぁ。だから何かあったら遠慮なく言っていいんだ。おまえの我が儘なんて我が儘に入らない」
「甘やかしすぎると後悔するよ?」
「しないよ。おれのサイドエフェクトがそういってる」
「そっかぁ、それなら心配ないなぁ」
にへ、と笑う希子に迅も笑う。
恐らく自分は近い未来に面白くないと思うのだろう。迅は言わなかったが、フォローしに来たということはそこまで視えていたのかもしれない。
でも、この夜を思い出せばきっと平気だ。
(ほんとに、過保護だなぁ)
それが嬉しいのだけれど。
「ね、迅さん」
「んー?」
「私、迅さんに感謝しかないよ。好きだし、大切だよ」
「……知ってる」
20200411